2005年05月18日(水)
  「わざわいは実は祝福」

神の思いと人の思いが違うこと、神の思いは遙かに
高いこと、色々な場面で学ぶ。

前に、こんなはずでは無かったAちゃん。建て上げ、
築き上げ、励まし合え、慰め合える、クリスチャンの
麗しい関係を思い、出会いを与えられたBちゃんと、
真の友にと、祈りを続けていた。

真の友にの、祈りが答えられた。自分の思いとは
全く違う方法で。
ある時、双方の誤解で、言葉足らずが原因で、ギク
シャクしてしまった。麗しい関係が答えのはずが、
何でギクシャクするのか。どうでも良い関係なら、
放っておくが、真の友になりたいし、ずっと祈って
いる。

神様のお心はどこにあり、何か、祈り求める中で答
えが示された。自分に問題がある。弱さをきちんと
出して、相手に理解してもらうよう、でないと相互
理解は成り立たないと教えられた。

一番自分の出来ないこと、したくないこと。ギクシャ
クは、自分への、神様の取り扱いであることがわか
った。自分自身をもっともっと、御霊は、自由にして
下さりたいのだ。自分で自分を窮屈にしていると。

決心をして、心を開いて、自らの弱さを話す事が
できた。すると、大海のような平安におおわれた。
自分自身が成長して行くための、取り扱いに、
逃げないであずかる事ができた。喜びが溢れた。

自分の思いと神の思いは異なり、いつもいつも
神の思いは遙かに高い。
目の前に様々な、一見「わざわい」に見える事
が起こるが、実は確実に平安と将来と希望のた
めのものだ。
信仰の目で、目の前の状況を見ることが出来る
ように!!

by 多恵子