2006年01月17日(火) 「11年前のあの日」
阪神大震災11年目だ。 両親と妹家族が、阪神住まいだった。 あの日、広島でもかなりの揺れだった。地震で目が さめ、階下でデボーションしていた。 すると、息子が、階段をダダダと下りて来て、 「お母さん!神戸がすごい地震!」と、告げた。 デボーション中なんだけどなと思いつつ、上がって、 テレビを見て、びっくり仰天。信じられない光景が映 っていた。呆然。そこで育ち、見知った所だけにショックだ。 空から中継していて、実家近辺が火事にはなっていな いと確認できる。 すぐ父から電話。「とにかく命は取りとめた!」と。 そして、間もなく、電話はつながらなくなった。 後で聞くと、父は揺れたと同時に、ベッドの上に、 ガバッ!と起き上がった。すると、父が寝ていた枕に、 テレビがガーンと飛んで来た。 そのまま寝ていたら、頭を直撃で命は無かったと。 母は頭をけがして、出血したが、病院など人、人で溢れ返り、 診察不能の状態。結局行かないで治ったと。 少し先に住んでいた妹家族も無事。すぐ後ろのお家 は全壊したと。 近所で、火が燃え上がり、消防車など待っていても、全然 来ない、こりゃダメだと、近所全員で、バケツリレーで必死 で消し止めたと。 すぐ水が止まったので、水洗トイレが使えず、両親も妹家族 も、しばらく小学校で寝泊まりした。 電話はすぐ止まり、公衆電話からは通じるとの情報、その ようにすると通じた。食べ物が無くて、市から配給の冷たい おにぎりを1ヶ食べただけと。 ガスが止まっていて、暖かいものが全く食べれないと。 宅急便も全面ストップ。こちら食料溢れているのに、なすすべ なく、そうだ、自分に出来ることは、不可能が一つもない天の 御父に祈ることだと。 必死に祈った。食べ物が与えられ、ガスが使えるようにと。 すると、祈った数日後、大阪の親戚がリュックと両手の袋に 食べ物を詰められるだけ詰めて、夫婦で、電車が通っている 所まで、あとは徒歩で来てくれた。 戦時中のようだったと。そのリュックの一番下にカセットガス があり、何と、火が起こせ、市からの配給車の水で、買い置 きのカップラーメンが食べられたと。 それに励まされて、水を祈ると、何と前の公園から地下水が 噴き出し、皆が行列で並び、それでトイレが使えたと。 父が1ヶ月入ってなくて、「風呂に入りたいなあ」の一言に、 与えられるよう祈ると、何と、被害の無かった田舎の親戚が、 近くの新しく出来た温泉に招待したいと、車で迎えに来てくれた。 神様の力とみわざを見た。 奇跡的に助かった父は、それから9年後、はっきり、主イエス 様を受け入れて、天国へ行った。母もまたその1年後、主を 受け入れて天国へ帰った。 by 多恵子