2006年03月01日(水)
  「信仰の思春期」

子供の信仰から大人の信仰へと移行して行く、
思春期の、あれこれを話していた。

Aちゃん「子供の頃は素直に信じてる。親がいる
ように、神様はいる。神様がいるのが当たり前。
何の疑問も感じない。

ところが、思春期になると、神様は太陽でいて、
という感じ。遠くで、あったかく見守っていて。
自分は好きな事がしたいから、干渉しないで、
近寄って来ないで。でも、見守っていては欲しい。
だから、遠くにいて、あったかく見守っていて」

「皆、そんな感じじゃないかな。自分が子供から
大人の信仰へと移行して行けたのは、神様に
“求め”て行ったからかな。ほんと、求めに必ず、
絶対に答えて下さいますね」

「普通に生活して行けるし、何だか、別に、神様
無しでも生活して行けてしまうから、その“求め”
が無いんだよね」

Bさん「私は大人で、大人になってから信仰持った
けれど、それ、私も同じ部分がある。すごくわかる!
遠くから見守っていて欲しくて、自分は、自分の好
きな事をしていたい(笑)思い通りにしていたから、
あれこれ言われたく無い、これが肉ですよね(笑)」

Cさん「うん、わかる、わかる。その太陽、すごい
ピッタリの例えじゃわ」(笑)

「神様が“喜びで楽しみ”までは行かないし、それほど
まで、まだ神様の事よくわからないし、何だか、現実
生活、神様なくても、生きて行けるし、そんなに必要
が無いんでしょうね」

若い友人のFちゃん「私はクリスチャンホームで生ま
れて、小さい時は、親に連れられて教会へ来て、教
会で皆と遊んで、単純に楽しかったんですよ。
思春期になって、やっぱり世が新鮮で、世がどんな
のか興味があって、世に行ってしまい、神様から
離れたんです。でも、小さい時に神様を知っていると、
必ず帰りますから、いっさい何も言わないで、見守る
ことが一番ですよ。
あんな時は、どうして欲しいかというと、黙って、見
守っていて欲しいんですよね。」

Jさん「行かないと、親に怒られるし、親とごちゃご
ちゃもめるのが、もううざいから、それがうっとうし
くて教会へ行っていた。
でも、身体だけ行っていて、心は全く神様に無かった。
でも、必ず神様に帰りますよ。一度知っていると、こ
の世に満足出来ない。やっぱり虚しくなって神様
求めました」

一世クリスチャンには、生まれた時から、神がいるのが
当然など、何と恵まれた、幸せな境遇なんだろうと思う
が、二世には二世なりの試練があるんだ。
子供から大人のかけ橋にイエス様がおられて、橋を渡
して下さることに感謝。

by 多恵子