2006年06月13日(火)
  「打ち傷」

神様に正直に祈ることについて話していた。

Aさん「もう、気持ちをすべて神様に告げてます!
出来ません!無理です!嫌です!ありのままの
気持ち全部告げる事によって、すごい解き放たれ
ました。だって、出来ないんだもん。
それを、ありのまま告げる時、ほんとに気持ちが
楽になって、自由にされて、心に喜びが来ます。

それまで、神様の前で、良い人だったんです。
頭では、教理ではわかっているのに、神様の前で
自分を隠す、自分できれいになってから、御前に
出なくちゃと思う。
こんな汚い、醜い姿見せられないと。頭ではわかっ
ているのに、どうしても、そうなんですよねえ」

「今まで培われた根深い世の価値観だ。良い子
は良くて、悪い子はだめ。受け入れられるには、
良い子でないといけない。
良い子になるよう頑張れと、お尻叩かれ叱咤激励
される。良い子になるようひたすら頑張る。疲れ果て
る。平安も喜びも何もない。」

無条件の愛って、わからない。この世には無い。
聞いた事も見た事も、心に浮かんだ事もない。
まさにTコリント2:9だ。イエス様のゆえに、このまま
で受け入れられ、愛されている事がなかなかわか
らない。頭ではそうなんだけど。
世の価値観と相反するし。

親友が「神様!いじわるする姑、辛くて辛くて、もう耐え
られない。憎らしいです。殺したいです!」と神様の前に
叫んだ時、心が180度変えられた。

姑に対する愛が、いとおしむ気持ちが、湧き上がり、溢
れて来て、「その足でスタスタと姑の部屋へ行ってるんよ。
それで姑を慈しむ気持ちで一杯なんよ。ものすごくいい
交わり与えられて、何かもうびっくり!ほんと私じゃない、
神様なんよ。私は恐ろしい罪人、でも神様がおられる
から、ほんとに嬉しい。心に喜び一杯」

こうごうしいだけの神様なら、とてもじゃないが近づけない。
でも、あの十字架で、血まみれなって、身も心も裂かれ
て、ぼろぼろになって下さった御子がおられる。
辱めを受け、つばきされ、打たれ、苦しめられ、しいたげ
られ、砕かれ尽くされたイエス様が、心のドロドロを、何
もかも受け止めていて下さる。

イエス様が十字架で打たれて下さったので、その打ち傷
で癒される。
見た事も、聞いた事も、心に浮かんだ事もない愛に、
今も包まれている。

「・・キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされ
たのです」Tペテロ2:24

by 多恵子