2006年10月22日(日)
  「水路のそばに」

「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える

まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。
しかし、悪者の道は滅びうせる」詩篇1

皆で詩篇1篇を読んで、教えられた事を語り合う。

Aさん「デボーションの必要がよくわかってるが、日々、
忙しさに、目の前の様々な事に追われ、思うように
取れない。だめだなあと思う。そこにサタンが来て、
落ち込ませようとする。だめだ、だめだと。世の人
と同じように歩んでいると。

でも、違う。そうじゃない。御言葉によると違う。
水路のそばに植えられてる。水路のそばに植わった
木だと。
だから、植えられている所が、信じていない人とは違う。
もう水路のそばに植えられているから、デボーションで
きない時も、その場で、神様を見上げて歩めば良いの
だと。」

Bさん「木はそこで動かずにしっかり立っている。ただ
立ち続けている。自然に、水分が木のすみずみに
まで及んで、実を結ぶ。
しかし、その実は、「時が来ると」実がなるのであって、
時が必要であり、忍耐が必要。思い通りに行かない
事も多いが、その葉は枯れない。
そして、時が来ると必ず実がなる」

Cさん「主は、正しい者の道を知っておられる。
自分は進路が今、目の前に迫って必要であるが、
神様が、道をすでに知っておられ、備えて下さって
いることが感謝。もう備えて下さっているから、委ね
ていたいと思う。」

Dさん「主の教えを、“喜び”とする事が自分の課題。
それが与えられるように。」

水路のそばに植わわった木は、何があっても枯れない。
木自体がどうのでなく、水路から豊かな水分が流れ
込んで、成長して行く。
すでに水路のそばに植えられた私達は幸い。

by多恵子