2007年01月14日(日) 「どうぞ宴会にお出かけください」
先週の聖日礼拝に、フィリピンから仕事で来日の クリスチャンが来会された。 女性一人で、短期の仕事で来ておられ、心寂しい 中、礼拝できて、交われて、大変喜ばれた。来週 も来ると言って、帰られた。 それで、日本語が全然わからず、英語なので、彼女 のために、選曲係は、英語の歌詞がある聖歌を調べ 選曲してくれた。英語の歌詞もコピーしてくれて、 彼女が歌えるように用意してくれた。 メッセージもその時は、たまたま来会の韓国人クリ スチャンが通訳してくれ、アウトラインが理解でき た。それで、今回はその姉妹もいないので、教会の 一人の姉妹が準備し、辞書も持参で通訳するよう備 えてくれた。 で、用意万端で、聖日を迎えたが、その彼女は用が できたのか、来ることができなかった。 彼女が来る事ができなかったのは、残念であったが、 準備を整えた事を通して、とても恵まれた。 「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家 畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会に お出かけください」マタイ22:4 神様が自分自身にこう言って下さっていることが、 わかった。いつもすべての用意が整っている。さあ、 来なさいと、招いて下さっている。 自分でするのでなく、神様の側で必要のすべてを 整えて待っていて下さる。 毎朝のデボーションもそうで、自分は行くだけで、 神様が恵みを備えて整えて待っていて下さる。 奉仕も、自分はあずかるだけで、神様が必要な力、 知恵、アイデア、恵みのすべてを用意して待って いて下さる。 信仰生活そのものが、そうなんだと。 いつもいつも、さあ来なさい。すべて整ってるよと 神様が招いていて下さる。恵みの中にいつもとどま りたい。