2007年03月08日(木)
  「正しいことが、正しくなくなる」

「善悪を知る木の実を食べると、必ず死ぬ」

正しいか正しくないかで、進んで行くと、そこ
は死だ。喜びと潤いと安らぎが失せ、恵みが全
く無い。

Aさん宅で。聖日朝、礼拝に行くのに、分を争
って皆が準備状態。洗面所も混む。髪をとかし
たり、お化粧したり、時間が無い。心が急き、
ついイライラが生じる。
皆が、相手を責める心が出て来る。「もっと早く
動いてよ」「余裕もってやっててくれたらいいの
に」「前もってわかってる事じゃん」心の中でつ
ぶやく。すべて正しい。

皆がイライラムードで、一言出てきそうな時に、
一人が「ごめんね」と言った。「遅くなってご
めんね」。その時、瞬間、その場の空気が変わっ
た。
ピリピリしたイライラ、トゲトゲした雰囲気から、
暖かい潤いのある空気に瞬時にして変わった。

そして、「あ、自我」と自分の自我に気づかされ
た。誰かがへりくだると、そこに潤いと温もりが
生まれる。神様が働かれる。

Cさん「正しい事を子供に押しつけて、子供をず
っと損なって来た。正しいんだけど、結果的に間
違っていた。
子供の“気持ち”を全く考えずに、親が思う正し
い事を、信仰を押しつけて来た。子供の心をどん
どん抑えつけ、歪めてしまった。
親は良かれと思い、正しいと思ってした事だった
が大きな間違いをしてしまった。
この事を通して、自分自身が砕かれ、この事をも
益として、今は子供も導いていて下さる神様に
感謝でならない。」

正しいから押しつけてしまうが、子供には子供の
人格があって、気持ちがあるから反発する。
積み重ねられた祈りと、愛による見守りがどうし
ても必要だ。

いのちによって、愛とあわれみと、祈りによって
生み出されて行く。

Cさん「妹に、私は正しい事を言ってるんですが、
必ず喧嘩になる。いつも喧嘩になって、もう雰囲
気最悪になる。正しい事を盾に、私が自己主張し
てるんですよねえ。だから、妹に全然届かないど
ころか、反発させる」