2007年05月09日(水) 「まだ見ていないが、すでに見て」
神を信じること、約束を見つめること、見えるところ でなく約束の御言葉を信じて、見つめ続けることにつ いて。 今、現在見ていない事、将来与えて下さるであろう事を 約束の御言葉に立ち、信じようとする時、 両親の救いの事が思い出され、大きな励ましとされる。 親が救われたのは、私が救われて38年後だった。 父は亡くなる7ヶ月前に、母は1ヶ月前に、イエス様を 受け入れた。 父は癌の手術を何度かして、転移が発覚、その手術に 臨む前夜に、はっきりと信仰を言い表した。 神様は最善をされる、無駄は一つもない。 父に最初に癌が発覚した時、驚きと底知れぬ不安に襲 われそうになった時、この事は益となる、最善をして下 さっている、神に無駄は一つもないと、万事益を信じた。 そして、真に益であった。父は癌だったから、救われたと 思う。段々高齢になり、癌でなくても、いつかは必ず最期 の時が来たであろうけれど、神様は、癌を与えて救って下 さった。 感謝で、感謝でならない。癌により、天国へ連れて行って 下さり、安らぎと幸せ、最高の喜びの中にいる事を思う時、 喜びでいっぱいになる。母もそのすぐ10ヶ月後、癌で、 父と共に天へ。 38年両親の救いを、ひたすら祈り続けて、救われたのは 人生の最後の最後であった。 両親の救いを見た時に、この時が予め備えられていたんだ と、すでに神から与えられていたからには、この38年間、 思い煩わず、心配せず、ただただ主を信じて、喜んで、待 っていればよかったのだと。 そして、今からはそうでありたいと。御言葉の約束を与え られたなら、必ず実現の日を見る、それまで感謝して、喜 んで待っていたいと。 必ず実現の日を見るのだから。 「あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを 思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだの です」ヨハネ8:56 アブラハムは2千年も前に、救い主キリストを見る事 を思って大いに喜んだ。 彼は実際には見ていないが、「彼はそれを見て」 すでに信仰によって見て、喜んだ。 祈り始めてから38年後に、両親の救いがすでに予め 備えられていたことが、大きな励ましとされている。 数々の約束の成就は、まだ見ていないが、「それを見て、 喜ん」でいたい。