2008年06月16日(月)
  「思い込み」

Aさん
「私、もうずうっと長年、見方が間違ってました。
培われて来たものが根深く、根強く、もう頑強で、
やっと少しづつ少しづつ、自由にされてるんです。

思いこみで、人や状況を見て、自分の思いで
決めつけてしまう。完全な思い込みだったんです」

「えっ、それがわかるって、すごい!!
普通、思い込んでてわからない。自分の思いが
すべてで、自分の目がすべての世界だもんね」

「慣習やしがらみの、格別強い中で育ったから、
これはこう、あれはああでなければならない、
それしか選択肢がなくて、絶対的なんですよ。

だから、これはこうでなければ、あれはああで
なければと、思い込む。それ以外は無い。

クリスチャン生活も、ずっとその培われたもので
していた。」

「しんどく無かった?」「すごくしんどいんだろ
うけど、それしかわからないから、それがすべて
だから、しんどくて普通、当り前で、そんなもん
だと(笑)思ってた。それが信仰生活だと。」

「段々気づいてきて、これは自分の見方であって、
本当はそうじゃないのではと。
人を見るにも、ずっと決めつけで見ていた。この人
はこう、と。あくまでも、どこまでも自分の見方で。

でも、全然違って、もっともっと無限の可能性があ
って、人は違うんだと。人を解放して、自分も解放
されて、すごく心が自由になったんです。

今まで、こうであらねば!で、自分も人も縛って、
窮屈にして、それが段々解き放たれて、自分が楽に、
楽にされて行ってる。

気持ちを人に言えなかったんです。こんな事言って
はダメあんな事、絶対に言えない。こうでなければ
だめとの思い込みがあるから。
気持ちを押し込め、抑え込むから、段々自分がわから
なくなる。自分の気持ちがわからなくなって。

神様が、自分を取り戻させて下さってる。気持ちを
正直に表現することを、練習中なんです。
自分が気持ちを言うから、人にも気持ちがあること
がわかって、それを受け入れることが、できるように
なるんですね。

いろんな気持ちがあるし、あっていいんだと、もの
すごく楽になって、自分がそのままおれる感じが、
少しづつ少しづつ与えられていて、すごく嬉しいんです。

毎朝、少しの時間でも、デボーションする時、神様が
ものすごく嬉しい。嬉しくて、毎朝が違って、嬉しくて、
今日もどんな1日を下さるのだろうと、わくわく喜びの
期待感でいっぱいで。感謝です」

Aさんと交わった後、心がものすごく爽やかになり、
爽やかなな風が吹き抜け、恵みと喜びでいっぱになった。
神様からの恵みが伝染して来て、こちらも満たされた。