2008年11月16日(日)
  「今日も天に宝を」

今、婦人方と再臨の学びをしている。
いつの日か、もう近いんだろうけど、イエス様と顔と顔を
合わせて会うことが、強烈にインパクトとなる。
心身引き締められる。

「再臨の事をまだよく知らないから、知りたい」の一人の
婦人のリクエストで始まった、再臨の学びは、皆で大きく
恵まれている。
再臨の学びは、独特の祝福がある。

生き方が問われる。今生きているのは、天に宝を積む
ため。一日一日が、この一日が天に宝を積むためにある。

「今」に、飲み込まれるのでなく、天を見据えて、今日
一日を生きること、常に天を意識し、心が天にあるように。

でなれば、かの日に、いっさい何の報いもなく、火の中を
くぐるようにして助かることになる。

「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」
マタイ6:21

宝のあるところに、必然的に心があるので、天に心がある
ようにするには、天に宝を送ればよい。

宝は人によって違う。富、地位、名誉、人からの賞賛、
人の目、愛する人・・様々だ。

その宝を、主に献げ、天に送るなら、心が自然に天にある
ようになる。
定期的に富を献げていれば、まず富への執着から、心が
守られる。
様々な事で、地に執着する心が、天に献げることで、心が
地上から天に移される。

メッセージにもあったが、最悪な事が、宝に心があり、宝
に執着すると、神が見えなくなるということ。

神を知りたい、もっと神に近づきたいなら、致命傷だ。

「からだのあかりは目です・・もし、目が暗ければ、あなた
の全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたの目が暗け
れば、その暗さはどんなでしょう」マタイ6:22

一つの窓だけがある、部屋があったとして、日中にその
窓にシャッターを下ろしてしまったら、外は陽がさんさん
と降り注いでいるのに、部屋の中は真っ暗闇だ。

目が、地の宝に執着していると、同じ状態になる。
全身が暗くなり、光が無いので、神が見えない。

Aさんと話していると、「ほんとだー!」。
「生活の中で、神様見上げて、親しい交わりの中で、
導きに従って生活している時は、心にすごく喜びが
あって、平安で、心が生き生きしてる。

でも、神様からそれて、この世のものに執着し出
すと、途端道に迷って行く(笑)

最近、ある物が欲しくて欲しくて、頭は朝から晩まで
そればかり。でも、これ神様からじゃなくて、サタンの
誘惑なんですよ。
ほんとに地のものにへばりつくと、シャッターが下りた
状態で、神様が見えなくなってた。

ああ、神様が語ってくれてる。ほんまじゃわ。感謝です!
何かちょっと地のものに心がへばりつくと、神様が飛
んでしまうんですよねえ。危ない、危ない!!
執着ってこわい。自分でわからなくなるんですよねえ。」

癌で、余命数ヶ月のCさんがおられる。
神様見上げて、余命を備えておられる。

前に近所に住んでおられた方とバッタリ出会い、その方
に、癌で長く無いことを告げられたそうだ。
相手は、余りにもCさんが普通にしておられるのに驚か
れたと。

身体は無くなっても魂は永遠で、新しいからだも
与えられる、聖書はすごいですねと。

Cさん通して、生きることについて、厳粛に身を正され、
時宜にかなった学びを通して、再臨への備えを教えられる。