2009年05月12日(火)
  「天の価値観」

この世の価値観で、長い間培われて来た。
また、今も凄まじいこの世の価値観の嵐だ。

心の一新によって、自分を変えなさい。
思考パタン、価値観が問題だ。
根深い古い価値観がある。

今週の礼拝メッセージは「カナンの女」の箇所
だった。
根底に、主のご愛と慈しみが確固とあり、
それを信じて生きて行けることに、とても
恵まれた。

カナン人の女性の信仰を、主が一歩一歩正しく
導いて行かれた。
「主よ。ダビデの子よ」女性は異邦人なので、
ダビデの子と言えない。

主は一言も答えられなかった。弟子たちが
女がうるさいから、何とかして欲しいと言うと、

主は「イスラエル以外には遣わされていない」
あなたはイスラエルではないと、言われた。

すると女性は、理解して、「ダビデの子よ」を
取り下げて、「主よ」とだけ言った。
ひれ伏して、礼拝してであった。

更に「小犬」と言われた。すると、女性は尚も
へりくだって「そのとおりです」と言った。
しかし「小犬でもパンくずはいただける」と。

主はこれを「立派な信仰」と言われた。そして
娘は癒された。

これが天国の価値観だ。この世の価値観だと
とんでもないよねと、話した(^^)/

「しつこいじゃろ」「出来ん言われてるじゃろ」

又、「何と冷たい」

逆に冷ややかな拒絶に会うと「なら、ええわ」
「もう、ええわい」「していらん」(笑)
プライドに触れ、カチンと来る。
これが世の価値観。

イエス様は女性の信仰をご存じで、それを
引き出し、整えようと、あえて拒絶と思われ
るような態度をとられた。
信仰が無かったら、とっくに引き下がっている。


放蕩息子の箇所など
「放蕩息子など、とんでもない。好き勝手して
帰って来て宴会て、そんなん有りかい?」

「家に入るのはええが、その前に何か一言あるじゃろ」

「私なら、ただでは帰れんから、兄に手みやげの
一つも持ってと考える」(笑)

「私は兄と一緒。好き勝手してよう帰ってくるわ。
そんな調子のいい事あるわけない。帰ってくるな。」

「絶対、兄の方がしっくり来る。自分は兄じゃわ」

「ぶどう園の例えなど、絶対不公平だと思う。
自分は早朝の労働者で、同一賃金などおかしい」

世の価値観、肉の価値観だ。

逆に、天国の価値観、神様の価値観はほんとに
すごいと思う。

神様のあわれみ、愛、慈しみ・・
自分には無い、天の価値観を知り、感動する。

心に、肉の価値観と、御言葉を置き換え、
肉を捨て、御言葉を選択することを、天に
帰るまで続けて行く。