2009年09月06日(日)
  「変えられている」

交わりで、変えられた事を語り合った。

Aさん「イエス様を信じる以前、凄い心配症だった。」
「そうそう!子供さんの進路に思い煩って、心配に
心配して、教会に飛び込んで来た事があったよね!(笑)」

「ええ!!もうすごい思い煩い症だった。どおっと不安
が襲って来る感じで、飲み込まれてしまう感じ。

それが今、本当に変えられた!以前の恐怖のような
不安が無くなって、日常生活で様々な出来事がやって
来るんですが、祈ることができるし、イエス様が絶対に
良くして下さるから、大丈夫と思える。

不安は来るが、底の部分が全く違う。神様が何とか
して下さると思える。心に平安下さってるし、すごい
変化です。こんな事、自分でどうしようも無かったん
ですものね」

Bさん「罪というのが、わからなかった。妬みや
人を悪く思う思いが、心の底に潜んでいたが、
それを全く罪と思わない。
潜んでいる事すら気づかない。ある事もわか
らない。聖書を学んで、御言葉を学んでいると、
御言葉が鏡のように、自分の心を照らし、「え?
え!」という感じで、自分の心が映し出される。

妬み、そねみ、裁き、偏見、見下し、高ぶり・・
毎日生活して、そういうものを全く意識しなか
った。心に留めていない。
自分の本当の姿がわからされて、それが
赦されていることを知れて、物凄い変化です」


Cさん「神様の言われている事がわかって、
御心示される時に、『そんなの出来っこない』
と思う。『はなから無理』と思って、スルーして
いる事に気づく。

無意識に、自分でスルーさせている。それは肉
の思いであり、御心を捨てて行くことになるので、
そこで、『出来ません』『無理だと思っています』
と祈ることが大切なんだと、教えられた。

その祈りが無いから、御言葉をどんどん捨てて
しまっていたと気づかされた。そこで、『出来ません。
助けて下さい』と祈って行こうと思う。
そういう思いに変えられた。」

毎日の信仰生活の中で、確かに、自分が変えられ
て行っていることが感謝だ。御霊が助けて下さって
いる。