2009年11月14日(土)
  「砕きが感謝」

あれやこれやダベリングをしていた。

未信者の時に、長年培われて来た価値観
が、根深いですよねえ。
自分は、根が能力至上主義だとわかった。

能力がすべてだと思ってるから、何も出来
ない自分は価値が無いとなる。
こんな自分はいてもしようがない。

ずうっと学生の時から、競争、競争で、それは
人との比較の上に成り立つわけだし、それが
今の勝ち組、負け組になって行く。
自分は負け組だと。そこから思考回路がおか
しくなって行く。何の希望も持てず、真っ暗になる。

テレビに出てくる、劣等感にさいなまれた
○○容疑者が、自分に重なる。

試験前に勉強がちゃんと出来なかったら、
悪い成績を取るのが嫌で、順位が下がるのが
受け入れられなくて、試験自体から逃げたい。
仮病じゃなくて、ほんとにお腹が痛くなるん
ですよね。
プライドには、すごい負の力がある。

出来る事が良い事という価値観だから、出来なけ
れば、ひどい劣等感に落ち込む。
そして、出来たら、人を見下げて、優越感に浸る。

一生、劣等感にさいなまれて、暗くなって、落ち
込んで、そんな人生虚しいですよねえ。
つまらない、嫌だ。
やっぱりイエス様にあって平安で喜び満ちた
人生を生きたい。

でも、仮りに、一生涯、一番だったとしても、
今度は、そう言うことに左右されずに、振り
回されずに、伸び伸びと、生き生きと、喜んで、
自分を生きている人を、絶対妬むんですよね(笑)

ほんとに罪ですよねえ。自我。
砕かれることが感謝なんですよねえ。

砕きって、その人、その人、ピッタリの
スチュエーションですよねえ。ほんとに的確な
状況設定。その状況でなければ、その人は砕か
れない。それでなければならない。

こんなに、急所に、もろ的確に、ピッタリのスチュ
エーションを備える神様はすごい。

私に、この試練が来たのは、対人関係の癒しと回復、
能力主義の気づき、比較に生きて、優越感と劣等感
をグルグルするだけの人生から救い出すためだった
んだなと。ほんとに救いがある。

罪の性質、古い性質もあるけれど、聖霊様が内に
いて下さるなど、何と有難い。こんな有難い事はない。

新しい性質が与えられて、聖霊様から、指針が
いつも与えられて、何をすれば良いかがわかる。

愛の御声が聞こえて来る。矯正される。
慰めや励ましが来る。

う〜ん、ほんとに神様出会わなかったら、
どうなってたかわからない。
感謝で、感謝で、感謝しかない。

「ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、
神に感謝します」Uコリント9:15

イエス様の十字架が無ければどうなって
いたか、感謝しかない。