2010年01月13日(水)
  「弱さのうちに」

海外より、数年振り帰国のAちゃんが集会に来てくれた。

Aちゃんには、「信仰」による、神のみわざの思い出がある。

少し経済的必要が生じて、パートを祈っていた。皆でずっと
祈り続けていた中、仕事が目の前に与えられた。
子供も小さいし、パート希望だったが、来た仕事はフルタイム
だった。それも自分が全く苦手な分野だった。

絶対に無理と、どうしたものかと祈った。とりあえず、
夫さんに相談すると、簡単に「やってみたら」「協力するよ」
の返答だった。

「え!」夫は、子供が小さいから「ノー」と言うだろう、それで
一件落着と思っていた。が、予想外の展開になった。
何の障害も無く、門が開かれている。

続けて祈っていると、皆にも祈って貰い、祈りを積み重ねた
結果来た仕事。神様が与えて下さったもの、祈りの答え。
それを思う時、自分には絶対に出来ないが、従って行こう
と思えた。

Aちゃんにとれば、信仰による一大決心であった。

一番最初にその仕事が来た時、自分には出来ないと
ワーワー泣いて電話して来ていて。

信仰によって決心し、信仰によって一歩を踏み出した!

すると、仕事が素晴らしく祝福され、次から次へと
成果を上げた。

Aちゃんは絶対に自分がしたとは言わず、「神様です!」
「神様です!」とすべての栄光を神様に帰した。

すると、更に祝福され、どんどん結果が与えられ、周囲も
びっくり!!

心底神様に栄光を帰して行くなら、自分が栄光を奪わ
なければ、幾らでも祝福に祝福を加えられることを、
教えられ、見せられた。

「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる」
Uコリント12:9

自分の無力を認める時、そこにこそ、神の栄光が現れる。
無力こそが、神の栄光を現わし、輝かせて行く。


クリスチャン人生、無力でないところに、様々なトラブルの
原因がある。