2012年08月06日(月)
  「自分は正しい」

すぐにマルタになってしまうと、話が盛り上がる。

Aさん「一人で忙しくしていると、イライラして
腹が立って仕方がない。

もうちょっと、気がつけよと。周囲を裁いてしまう。

マルタそのままですよねえ。イライラして、自分の
していることが正しいと、自分を正当化して、して
いない人を、何もしていない、自分ばかりがと裁く。

本当は、すべての事を、主のためにしているはず
なのに、主まで責めて、平安なく、いら立ちと思い
煩い。何をしているのか、わからない。

主のために始めたはずなのに、元も子もない」


Bさん「自分は、これだけしているのに、こんな
にもしているのに。しんどい目をしているのに。

ちょっとは、したらと、何もしない人に腹が立つ。
腹が立って仕方がない。裁きまくってる。

「主よ。妹が私だけに、おもてなしをさせている
のを、何ともお思いにならないのでしょうか。

私の手伝いをするように、妹におっしゃって
下さい」

自分がしているから、自分の力でしているから
裁くんですよねえ。
恵みによって、神様の力によってしていたら、
喜びと感謝しか無いですよねえ。

神様の目は全く違うんですよねえ。その人にも
事情があって、大変さがあって、神様は外側
でなく、心を見て、寄り添っておられる。

でも、神様はこんな人を裁く私をも、あるがまま
愛して下さっているんだと思う時、罪は赦されるし、

神様の愛は全く変わらないと思う時、有難いと
思えて、心があったかくなって、神様視点に立ち
たいと思える。

自分だって、出来ない事がいっぱいあって、でも
そのままで愛されているんですものねえ。

すぐ律法の下に入ってしまって、正しだけに
恐いですよねえ。間違ってしまっていて気づかない。
恵みの下に絶えず戻れるように」


Cさん「正しいというのは、くせものですねえ。
パリサイ人になっていて、気づかない。
正しいんですものね。

対人関係で、何だかギクシャクしてから、
後で振り返って、よく考えると、“自分は正しい”
に立ってたと、気づかされます。
ああ、間違ってたんだと」