2012年09月01日(土)
  「嬉しくて、嬉しくて」

Aさん「日常生活で、些細な事なんですけど、
祈りながら生活していると、あ、神様だ、と。
すごく嬉しくなります。

スケジュールを立てる時も、あれこれ考え
ると、これをここに、あれをここに、いや、
逆にと、どれがいいのか、全くわからなく
なる。

そこで祈って、神様に委ねて、立てて行くと、
これはここ以外に時間は取れない、あれは
ここしかダメと、不思議に、ピッタリと、はま
って行くんです。

そして結果的に、見事にすべてが完璧にはま
っていて、神様の素晴らしさを見せられて、
嬉しいです!祈ると全然違います。

時間が無くて、でも、祈って買物に行ったんです。
すると、その時でしか買えない物が手に入って
時間も無い中で、欲しかった物が、すべて購入
できてほんとに驚きでした。
祈りの祝福感じて嬉しかったです。

ほんとに些細な事に、神様を知れて嬉しいです。
生活の中に、生きて働いて下さっていることが、
すごく嬉しい。
神様と一緒に生きていることの実感が来ます」



Bさん「この間、夫に不満が爆発してしまって。
ああして欲しい、こうして欲しいがあって。
色々、言葉も腹が立つことがあり、ちょっと
した事がきっかけで、もう大爆発。

普段から不満に思っていること、傷ついた
あの言葉、この言葉、過去の嫌な事、
もう出て来る、出て来る、ぶちまけてしまって。

夫はびっくりして、何も言わず、ただ唖然と聞いて
いて。

普段、神様に従いたいと思っていて、自分は
自制しているつもりが、自分の力で我慢して
いたと思う。
御霊の自制や忍耐でなく、ただ抑え込んで
我慢している。

抑え込んでいるだけで、鬱積、不満、腹立ち
があるので、許容量オーバーになると絶対に
爆発する。
これは御霊による歩みでなく、自分の力で歩んで
いると思った。自分の力で神様に従っている」


Hさんが「我慢」は「自我の“我”」と「高慢の“慢”」
神様に頼らず、神様を横において自分がしている
と言っていたが、その通りだね。

「でも、神様はあわれみ深くて、大失敗を益として
下さって。夫は変わり、何か気を遣ってくれている
のがわかり、愛情も感じ、今、夫婦とてもいい感じ
なんです(*^_^*)

二人の時間を持って、とても楽しんでいます。
本当はいつも夫婦の学びで学んでいるように、
コミュニケーションとして、普段から率直に気持ちを
伝えたら良かったんですよね。

でも、夫と心と心を通い合わせ、絆深めて行き
たいです。夫婦の間を大切にして行きたいです。

“雨降って地固まる”みたいに、ほんとに神様は
益として下さることに、感謝で感謝で。

今とても嬉しくて、嬉しくて、喜びがあります」

神様が生きて働いて下さっている。その神様に
触れると、喜びが湧き上がる。