2013年03月06日(水)
  「無いことが感謝」

Aさん「親族が、いつか必ず救われて欲しい。
そのために、良い証しをしなくてはと思い、
愛そうとするが、愛せない。

『愛せますように、〃』と幾ら祈っても、正直
な本当の自分の姿を認めていないから、
全然その祈りは聞かれない。

愛そうとすると、できないので、苦しくなって、
その苦しさがどんどん高じて、すると、もういい
と切れてしまい、どうでもよくなってしまう。
何も全く変わらず、堂々巡り。

相手から愛情が感じられない、思い
やりの無い言葉や態度に、悲しさ、
寂しさ、怒り、恨みとなってしまい、
こちらも心が冷めてしまい、そこで
尚かつ愛することなど出来ない。

親族も愛せないのに、『敵を愛しなさい』
敵などとてもじゃないが、愛することは不可能。
ほんとに愛が無い、とことん無いことを思い
知らされる」

Bさん「わかる、わかる。職場でも、人を裁いたり、
見下したり、自分の自我がものすごく強い
と思い知らされる。
相手じゃなくて、自分の自我の問題ですよねえ。
言われた言葉にカチンと来るし、ちょっとした事
でも腹が立つし、ムッとなるし、自我に触れて来る
からですよねえ。
ほんとに自我が強いとわかる」

「そんなはずはない。愛が無いはずはないと、
どこまでも頑張ってみるが、幾ら頑張っても
どこまで行っても、愛は自分の内に無い。

でも、肉は尚も頑張るから、頑張ったら出来る
という錯覚があるんでしょうねえ。
頑張っても、頑張っても、愛せなくて、
疲れ果てて、愛は無いことがわかるのに、
なぜか尚も頑張る。

肉は自分に愛が無いことを認めたくないん
でしょうねえ。
どこまでもやってみようとする(笑)
そして、神様にギブアップした時に、平安へと
導かれる」

「愛したくありません。愛せません。無理です。
顔も見たくないです、とあるがままの自分を
認めて、祈って行くと、不思議に心が変え
られる」

「愛が全く無いとわかることが感謝で、
愛せると思ってたんだなあと。
愛が無いまま、神様に愛されていること、
慈しまれていることが嬉しいです」