2013年11月06日(水) 「砕かれて知る神様」
救われた時のことを話し合ってた。 Aさんが「私は、10年かかったんですよ。 神様のことは嫌ではなくて、知りたいなとは 思い、教会にも行っていましたが、それが わからないんです。 どうしても神様がわからない。雲をつかむ ようで、わからない。まあ、わからなかった です。 10年ですよ。10年わからなかったんです。 でも、今、思えば、御霊様によらなければ ほんとにわからないんですねえ。 そして、砕かれなければ、わからないんで すねえ。砕かれました。砕かれて、神様を わかるようにされました。 今は、もう感謝で感謝でならないです。 振り返って、神様に無駄は一つもなく、自分 には10年が必要だったとわかります。 神様は決して見放さず、捨てられないことを 身をもって知り、刻みつけられました。 それは10年でないとわからないですものね。 この10年ずっと愛し続けていて下さったと 今はわかります(^^)感謝でいっぱいです」 Bさんも「私は、教会は全然嫌でなく、友達 が誘ってくれるから、別に抵抗なく来てま した。特にイベントの時は、食事会があって、 楽しかったです。 でも、私は、全然御言葉を心に入れてなか ったです。わからなかったし、右から左で、 自分の力で生きていたし、生きて行きたか ったから、全然心の耳では聞いてなかった。 物理的には聞いてるんですが、心ではシャット アウトしてましたね。 神様に頼る気はないし、従う気も全然無か ったので。 でも、大きな試練が来て、自分ではどうする事 もできない状況に陥った時に、それこそ教会に 飛んで行き、その時に初めて、御言葉が心に 入って来たんです。 頭ではなく、心に入って来て、救われました。 10数年前から教会に来てますが、御言葉を心で 聞いたのは、その時が初めてでした(^^;) でも、拒否してたのは自分です。自分が入れ なかった。 それからも試練は色々ありますが、試練って 感謝なんですね。 試練によって、神様に近づけて、神様を更に 知れて、試練の後、喜びが増し加わることを 経験します。 神様って、砕かれて、知れて行くんですねえ」