2014年02月07(金)
  「気づき」

Aさん「対人関係で、何だかぎくしゃくし、気まずい、うまく
行かないことを感じていて。

悩みつつ、環境を変えようかとの思いも来て、あのように、
このようにしたらどうかとの、いろんな思いが来る。

しかし、自分がその場を逃げるのは、違うだろうと、それは
御心ではないだろうと、何やかや祈りながら、考えていた。

そんな時、底の底の思いを探っていると、自分は相手
によく思われたい、好かれたいと思っていることに、気づ
かされた。

だから、心が縛られて、窮屈で、しんどいのだと。それに気づ
かされた時に、ふっと心が解き放たれて、いいや、と思え
た。自分は自分でいればいい。

相手に配慮したり、愛して行くことは祈って行くが、相手
に自分がどう思われようと構わないと、思った時に、すごく
心が楽になった。

主と共に、その環境にとどまろうと、平安にされた。
気づけたことに感謝でした。

でも、人に良く思われたい、良い人に見られたいという
思いは根深いですよねえ」


Bさん
「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」

「ずうっと昔に、子供の頃に、よくテレビから流れていた。
その子供の頃に、辛いことがあって、この言葉がその頃、
ピッタリと心にはまった。この言葉で救われていた。

ふっと、最近思い出して、あの子供の時から、神様が
私をつかんでいて下さった、握っていて下さったんだと、
喜びが溢れた。

古い性質があり、思い通りにならないと、不平不満が出て
来るが、神様との交わりの中で、心の内をありのまま
不平も不満も、神様に告げて行く時、不思議に心が
落ち着いて来る。

神様との交わりによって、心が変えられて行く。
不思議だが、状況が変わらずとも、心が平安にされて
行く。

神様に触れて、平安にされて行く時、御霊の喜びを
与えられて、その喜びは周囲に伝染して行く。」