2015年01月13日(火)
  「神のための私」


Aさん「厳しい、極度に苦しい試練があった。
余りに苦しくて、辛くて、神様がいるなら、何でこうなるのか、
神様何でと、神様を恨んで、何もしてくれない神様を憎んで
しまって、もう信じないと、心を頑なにしてしまった。
二度と祈ったりしない。
と、思った時もあったが、今、祈ってます」と(^^)

「神のための私」でなく、ずっと「私のための神」だった。
数十年前も、ずっと学びで聞いていたが、頭の理解だけで、
全然わからなかった。


自分軸で回り、自分が中心にあって、自分のために
神がある。
助けてもらうための神、自分がよりよく生きて行く
ための神。
だから、して欲しいばかりで、ああしてくれない、こう
してくれないと、自分の思い通りにならなければ、
神に反抗し、恨んでしまう。

「神のための自分」と、あの頃も散々学んだのに、
心が求めなかった。
自分が幸せになりたいばかりで、ああすれば、こうなれば、
きっと幸せになれると。そうならないと神を恨む。

そして、外面的に見れば、幸せな、恵まれた生活を手に
したが、心には喜びが無かった。神様に反抗していた。


自分でどうにも出来ない試練が起きて、神様のもとへ
追いやられ、必死に祈る自分がいた。

「今、神のための自分であることが、よくわかる。
初めてわかる。
それがわかるために、この数十年が必要だったの
でしょうね。」

自分の欲が満たされるなら、幸せになると勘違い
するが、そこに幸せも喜びもなく、

神に喜ばれることを求めて行く時に、自分に喜び
と幸せが与えられる。