2015年02月07日(土)
  「アバ、父。」

Aさんが
「イエス様に出会って、振り返ると、楽に楽に
してもらっていて、ほんとに感謝です。

この平安は、もう何にも代えられないです。
少しづつ、少しづつ教えられて来たように
思います。

信じた初めの頃は、まだ何もわからず、自分の
力で、自分の思いで、事に当たり、対応するので、
神様は神様、自分は自分、だったですねえ。

だから難しい問題が来ると、ものすごくしんどく
て、イライラするし、苦しいし、落ち込むし、
思い煩い、且つ、焦り・・

全部自分の肩にかかってたんですよねえ。
だから、神様を信じてはいるが、しんどくてたまら
ない。平安など無い。

かなりの歳月、そんな歩みだったです。
それが、問題が起きて、もうどうにもならない、
ほんとにどうにもできなくて、行き詰まった時に、
初めて、神様に全部委ねることができました。

自分の力で出来る範囲なら、明け渡す事も
しなかったが、許容量を超えていたので、今
思えばほんとに感謝で、もうギブアップで、明け渡した。

その時、初めて、聖書の平安を経験しました。
それまで、クリスチャンだし、信じてもいるが、
今のこの平安は、全くわからなかったです。
自分で、全部してるんですものね。

ずっと頑張って頑張って生きて来たので、
その思考パタンと価値観しか無いので、
クリスチャンになっても、頑張ってしまう。

神様に頼るということが、どうしもわからない。
自分でしなくてはと、思ってしまう。
それがしみついていますものね。

神様の前でも、「良い人」で、いてしまうんですね。
神様の前では「子供」(チャイルド)でいいんだと。
今は、もう何でも神様に言って、受け止めてもらい、
もう平安で、平安で。

「しんどいよ〜神様」「これ、どうすればいいですか?」
「わからない、教えて下さい」何でも祈ります。
すると、喜びが心に来るんですよ。

振り返ると、結局は、試練、行き詰まりが
感謝という事になります(^^)」



“あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような
奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる
御霊を受けたのです

私たちは御霊によって、「アバ。父」と呼びます”
ローマ6:15