2015年07月02日(木)
  「人の歓心」

“今私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。
いや。神に、でしょう。

人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし、
私がいまなお人の歓心を買おうとするなら、私はキリスト
のしもべとは言えません”ガラテヤ1:10


「生い立ちが複雑で、小さい頃から、自分の居場所
が欲しくて、人にどう思われているかが、ものすごく気
になって、人の言動、態度に人一倍敏感だった。

人に良く思われたい一心だった。
絶えず人を気にして生きて来て、でも、それは
ひどく疲れることだった。

イエス様に出会って、初めて真の平安を経験した。
人の歓心を得たい心と、神様を求める心が共存
しないことがわかる。

どちらかを見ている時、一方が消える。
人の歓心を得ようとしている時、人によく見られ
ようとしている時、神様が消える。

結局、人が偶像になって、人が神になっている
ことがわかる。
御霊が気づかせて下さることが感謝で、その度
に立ち返りたい」


「特に冠婚葬祭の時に、世のしきたりや、古い
習慣の中にいる時に、人の目が気になる自分に
気づく。

特に閉鎖的な地域、因習の強い地域では
目立つことを、気にしてしまう。

本当に人が気になる、良い人に見られたい
強い自分があることに気づけて感謝です。」


「人の目を気にする、良い人に見られたい、どこ
までも根深いものがあって、戦いです。

日本では、向こう三軒両隣が神で、何を言われ
るか、どう見られるかを気にして、気にして、縛ら
れて生きている。

人前を繕い、演技をし、偽ってしまう。余りにも
根深く培われていて、無意識だったりする。


“互いの栄誉は受けても、唯一の神からの
栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じる
ことができますか”ヨハネ5:44

人によく見られようとするなら、神を信じる
ことができない。


“あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちが
あると思うので、聖書を調べています。その聖書
が、わたしについて証言しているのです”


“それなのに、あなたがたは、いのちを得るために
わたしのもとに来ようとはしません”

“わたしは人からの栄誉は受けません”

人からの賞賛を求めているなら、幾ら聖書
を学んでも、神様がわからない。

人前を繕っている時に、御霊が気づかせて
下さるように。