2016年03月05日(土)
  「御霊によって」

神様のご愛、十字架の血潮、罪の赦しを学ぶ。

「罪を犯すと、どうしても、神様から離れてしまう。
イエス様の血潮が罪の赦しのために、流されて、
御父もそれゆえに、罪しない、赦すと言われて
いることが、

頭では、よくわかるのに、なぜか心が沈んでしまう。
神様の前に出らないと思ってしまう。」


「そうそう!わかる、わかる!このままでは出られない。
少しはましに、きれいになってからと思う。
どうしても、その思いがよぎる。」

「悔い改めるんだけど、また、思い出しては悔い改め、
これだと感覚に頼ってるわけですよね。
何だか赦された感じがしないという。
頭の知識では、赦されると思っているが、赦された感じが
しない」

「一度悔い改めたことを、再度悔い改めるほどに、信仰
が無くなって行く」

「ほんとにその通りで。でも、感覚に頼っているから、何度
も悔い改めたくなってしまう。赦された、自分の感じがしない
御言葉はそう言ってるが、半信半疑で。」

「目の前の御言葉を信じるか、自分の感覚を信じるか
ですよね。どちらかしかない。
どちらかを選択している。」

「罪を犯すと、神様から遠ざかろうとし、隠れようとして
しまうのは、根深い、行ないによる価値観があるから
なんでしょうね」

「良い子は良い子で、悪い子は悪い子。この世界
ではすべて、その価値観で、行ないの良い子が良い子。

それが寝深く培われているから、行ないが悪いと、
受け入れてもらえないと思ってしまう。」

「今日はしっかりデボーションが出来たから、気持ち
がよく、今日は受け入れられていると思う。
今日は祈れていないから、不安とか。
結局は、行ないにかかっている」

「頭ではわかるが、本音は行ないの価値観が染み付いて
いる。
だから、“わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を
招くために来たのです”のイエス様の言葉も、

“わたしは罪人を招くためではなく、正しい人を招く
ために来たのです”の方が、根の価値観にはしっくり来る。」


「行ないの価値観が、思っている以上に寝深くあることに
気づけることに感謝ですよね」


「目が見たことも、聞いたことも、思い浮かんだこともない
神の愛、あわれみ、救い、なので、肉に気づけて、
少しづつ行けることが感謝です」

“神のみこころのことは、神の御霊のほかには誰も
知りません”

「自分の思いでは、絶対にわからないし、この世の価値観、
経験値をもってしてもわからない。

しかし、御霊が教えて下さるので、大きな希望があって
楽しみと喜びです」