2003年08月25日(月)
  「見るところによってではなく」

昨日、学び会で「信仰」の学びをしていた。

Aちゃん「職場で、契約獲得目標を設定され
る。前回は到底不可能なのに、クリアできた。
自分も驚きで、神様のみわざで、神様の力を
感じた。

すると、又、全部ゼロにして、新たなもの
すごく高い目標を言い渡される。ものすごい
プレッシャーで、絶対にダメだと思ってしま
ってた。

今日、学びで気づかされた。ああ、そうだ。
何度学べばわかるんだろう。又、同じ間違い
をしていた。
私がするのでなく、イエス様がして下さる
んだ、私の力や能力など問題ではない、イエ
ス様が与えて下さるものなんだ、私は信仰に
立つことなんだと、気づかされました。」

Bちゃん「今、志持って勉強しているが、
その試験がものすごく大変な難関、とても
無理だと思ってしまう。
それなら、親に高い学資出して貰って、資格
を取るために勉強しているが、全部無駄にな
って、親に何とも申し訳ない。

それに、私は就職活動はしてないし、じゃあ、
卒業後は、私はどこにも行く先なく、する事
なく、プー太郎になってしまうじゃないか。
とこの頃ずっと考えて落ち込んでた。」(笑)

「悲観的な思いしかなく、最悪の事ばかり考え
て、将来の事など全くわからないのに、今、
心真っ暗になってて。」(笑)


「今、学びをしてて、え?これって不信仰で、
神様が全然無かったと気づいた!」
信仰に立つことなく、自分で思い煩い、心配
し、不安になり、どんどん悪い方にしか考え
られなくて、沈んで行く。

「神様は、私の生涯にご計画を持って下さっ
ていて、私への神様のみこころを備えて下さ
っている。
だから、どうなろうと、神様は導いて下さる。
たとえ、試験にすべったとしても、それもご
計画の中なら、最善だし、別の道を用意して
いて下さる!心が平安になりました!」

<自分には出来ないが、イエス様にはお出来
になる>、この信仰を喜ばれる。
私のすることは、イエス様を信じること。

あの事、この事、この重荷、私のすることは、
イエス様がして下さると<信じる>こと。

この世の勢力は凄まじい。目に見えるところ
は、強烈なので、目に見えない世界が飲み込
まれてしまいそうになる。

違う、そうじゃない、目に見えるところでは
ない、何度も、何度も、再確認しながら、
<信仰>に立ち返る。そして、平安になる。

「確かに、私たちは見るところによってでは
なく、信仰によって歩んでいます。」
Uコリント5:7

「信仰がなくては、神に喜ばれることはでき
ません。神に近づく者は、神がおられること
と、神を求める者には報いてくださる方であ
ることとを、信じなければならないのです。」
ヘブル11:4

by 多恵子