2003年09月13日(土)
  砕かれることは大きな恵み

今日、親しい愛する姉妹が証しを送って来て
くれた。
子供の気持ちより、体裁が大切。人の目ばか
り気にして、子供を損なってしまった。外側の
ことばかりを押し付け、正し、ますます子供は
抵抗し、反抗し、非行に走って行ってしまった。

家から離れ、遠方の矯正施設で、子供は訓練を
受けている。この辛い痛い出来事通して、姉妹
は自分が聖霊様から照らし出された。自分の姿
を聖霊様の光の中で、正しく見せられた。

子供の気持ちより、母親として自分がどう見ら
れるかの方が大切。良い子であれ、ちゃんとし
た子であれと、子供は正しく育って欲しいから、
外側ばかり整えようとし、ずうっと叱ってばか
りいる状態になる。

要求ばかりで、押し付けばかりで、全く気持ち
をわかって貰えない子供は、余計反発して、悪
事へと走る。

押し付け、抑えつけ、子供の気持ちより、世間
体を、自分のプライドを、自分の都合を優先さ
せていた罪が、はっきりと示された。心から悔
い改め、子供にも謝罪した。
神様により、子供との関係が回復させられ、良
い方向へと向かっている。

何件も接して来て、このような時、親が二つの
タイプに分かれる。自分の問題として受け取る
親と、子供の問題としてしか見えない親。
親は立派で、子供が非行に走っていたら、親子
並べたら、どう見ても、子供が悪いとしか見え
ない。親も自分は正しいから、子供の問題とし
か見えない。

でも、不思議だけれど、自分の問題として受け
止めて行く親の、子供は癒されて行く。なぜか、
子供の問題としか見れないケースはそのままだ。

「自分は正しい」に立つと、何も見えなくなる。
不思議だけれど、本当に何も見えなくなる。

「もしあなたがたが盲目であったなら、あなた
がたに罪はなかったでしょう。
しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見
える』と言っています。あなたがたの罪は残る
のです」(ヨハネ9:41)
by 多恵子