2023年07月03日(月)
  「どうしても欲しい・・」

祈りについて語り合い、交わっていた時に。

Aさん「ものすごく欲しいものがあって、どう
しても欲しい、死ぬほど欲しい、手に入れたい
ものがあると、

神様に祈るのですが、もうそれしか思いに無い
ので、それだけなので、与えて欲しいばかりで、
何も目に入らない。

それが手に入らないと、祈りが答えられないと
思い、いつまでかと、失望落胆する。

また、与えられそうな状況になるが、やはり
与えられない、その繰り返しになって、もう
真っ暗になる。

何で?何で?与えてもらえないのかと、不満
や焦りが募って、落胆ばかりになる。

何で?何で?もう、どうしても欲しくて、それ
が思いや感情がマックスになった時に、突然
御霊が気づきを与えて下さった。

欲しいものさえ、手に入ればよいのなら、偶像
の神でも、サタンでも何でもよくなってしまう。
ほんとに、どこまで行くかわからない。

心底恐くなった。偶像まで行ってしまうでは
ないか。
道をそれている事に気づかされた。

本当に感謝でした!!神様にゆだねる事ができ
て、その後、もうあれほどの執着が消えてしま
った。」


・・・・・・・

Bさん「わかります!例えば、病気が治りたい
一心でいる時、わらをもつかみたい。治して
くれるなら、もう何にでもすがりたい。

すごくわかる。神様に祈って祈っても、病気が全
く治らない。
がっかりしてしまい、失望落胆ばかりになって
しまう。

そこも通りながら、尚も祈り続けていた時に、
病気のいやしだけを、その一点だけを見つめる
のでなく、プロセスや、神様のみこころに目を
広げて行った時に、

様々な祝福に気づかされた。
苦しいから祈りに祈り、何より祈らせて下さっ
ていること。

ますます祈りが与えられていること。
そして、求めと願いだけでなく、感謝が与えら
れたこと。

感謝に導かれ、感謝に目が向くようになり、感謝
して行くと、更に、感謝すべき事を与えて下さり
変えられて行った。