2004年05月02日(日)
  「パッション」

周囲の子達が映画「パッション」を観て来た。
私はまだ観ていないが、感想を色々話してくれた。

「で、メル・ギブソンのメッセージって、何だったん?」
Aさん「ストレートに福音を解き明かしているのでは
なくて、含みを持たせてて、もっと知りたい人は聖書
を読んで欲しい、教会へ行って欲しい。これから求め
て欲しいと言っていると感じた」

Bさん「片目のつぶれたイエス様のその片目が凄い眼
差し。その眼差しが自分を見ている。母マリアから見
たイエス様、マグダラのマリアからのイエス様は違う。
十字架を背負ってるイエス様を見つめる一人一人にそ
れぞれのイエス様が映っていて、あなたにとってのイ
エス様は?心に映し出されるイエス様は?って言いた
かったのかなと思った」

鞭打たれて、十字架上で血まみれになったイエス様が
「父よ彼らをお赦し下さい」と祈るその姿が、物凄い
強烈なインパクトだったと。

聖書を知らない人は、どんなにひどい悪を受けても、
悪で返さない、そんな人がいるんだと感じるかも知れ
ないと。

それを聞いていて、思い出した。私が高校生の時、倫
理でクリスチャンの先生がいた。
その先生が、授業中に宗教という項目で、キリスト教
の説明をした。
結局1時間、キリスト教の話になり、十字架の意味と
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしてい
るのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)
の意味を説明した。

その時、心惹きつけられ、思わず聞き入った。その中で、
身代わりの死である事と、及びもつかない愛である事を
知った。まだ、クリスチャンでなかったが、心に鮮烈な、
強烈な消える事のないインパクトを受けた。救いのため
の、一つの布石であった。

そして、その半年後、友人に誘われて行った、教会の特
別集会で、初めて聞いた福音がはっきりと理解できた。
その場で信じ救われた。

どんなに苦しめられ、痛めつけられ、傷つけられても、
決して悪で返さない、すべて受け止め、耐えて、愛と赦
しで応答する。強烈過ぎる衝撃だ。

映画通して、イザヤ53章のイエス様が思われたとの感想。
“彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、
私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ・・、人が顔をそ
むけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

しかし、彼は私たちのそむきの罪のために刺し通され、私
たちのとがのために砕かれた。彼は痛めつけられた。彼は
苦しんだが、口を開かない”

残虐に残虐を重ねた暴力を受け、鞭で身体が裂かれ、血ま
みれになり、それでも耐えて、黙って十字架につかれた。

だから、自分は救われた。このイエス様だからこそ、つい
て行けた。自分の心の奥底が求めていたものだった。

心に求めがあった。何か真実なもの、尊いもの、かけがえ
のないもの、何にも替えられないもの・・。
それが、このイエス様だった。

光が見えて、出会えたのだ。心の内に火がともり、尽きる
事のない喜びと温もりが、日々の生活に沸々と。
by 多恵子