2006年11月09日(木) 「いろいろな方法で」
前回の友は、私の行っていた教会の宣教師から 何か乗り物に乗っていた時に、声をかけられ、 トラクトをもらい、それを見て教会に来たのだった。 声かけとトラクトが用いられて、救いに導かれた。 別の知り合いも、たまたま飛行機で隣り合わせた 宣教師と会話していて、聖書に関心を持った。宣 教師が日本人の婦人にファローを頼み、彼女も、 はっきりイエス様を知り、信じ救われた。 友人は歯医者の待合い室で、横の女性と会話にな り、自然に証しの機会が与えられた。その女性も 教会へ来て救われた。 出産時に同室で仲良くなり、教会へのきっかけに、 というもの何人か聞いた。 ここで開拓して、最初に救われた高校生は、校門 前で配布したトラクトが、学校のごみ箱に捨てられ ていて、それを拾って読んで、聖書通信講座に応答 した女子高生だった。 「主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。 しかし、サマリヤを通って行かねばならなかった」 ヨハネ4:4 サマリヤの女を救うために、わざわざサマリヤを 通られた。 私は友人に誘われて教会へ行き、救われた。 私を救うために、人生途上に、友人をそこに置き、 導いて下さったイエス様を思い、ご計画を思う。 救われた時の不思議と、主の御手を思う。 深い感謝でいっぱいになる。 by多恵子