2007年03月06日(火)
  「自分でつくる実」

「御霊の実」と「人工の実」の違いを話していた。
自分を明け渡して、御霊に従って行く時に、クリス
チャンは御霊の実を結んで行く。
「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、
自制」だ。御霊によって与えられる実であり、霊の
ものだ。

でも、自分の意志の力によって、ある程度外側は繕
える。クリスチャンらしく、幾らでもできる。
親切そうに振る舞えるし、優しそうにできるし、腰
を低くできるし、ニコニコしておれる。
つまり、それは霊によらない、人工の実だ。

Aさん「その違いすごくわかる。クリスチャンらしく
というので外側を演じる。この場ではこうしておい
た方がいいだろうというので、それらしく出来てし
まう。
証しのためになどと(笑)全然証しになってないん
ですが、物腰低くしておこうと。自分がへりくだり
をやっている。
御霊にいっさいよらないで、あくまでも自分が物腰
低くしているから、これって、すごい高慢ですよね。

自分はへりくだっているつもりで、相手が思ってい
る反応を返してくれないと、自分はこれだけへりく
だってるのにと、もうカチン!と来る。(大笑)

霊によらないから、めっきがすぐにはがれる。
自分も無理してへりくだってるから、全然喜びなど
ない。ほんと肉です。

でも御霊に導かれると、全く違う事もわかります。
御霊によって、御霊に助けられてしているから、
自分の努力でないから、そこには喜びがある。

自分は出来ないから祈る。祈って、御霊に導かれて
親切な言葉をかけたり、やさしくできる。その時、
自分がしていないから、自分を誇らないし、神様
に感謝があって、相手にも潤いが伝わり、そこに
神様を感じる。

Bさん「あー、すごいわかる。こっちは頑張って
るのに、相手から思ったような反応が返らないと、
クソッーと思う(笑)やってやってるのに!と。
ほんと肉そのものですよねえ」

自分にできない時、御霊が働いて下さるのがよく
わかる。自分がしていなから、わかる。