2007年05月06日(日)
  「無駄は無い」

新聞を読んでいたら、こんな言葉が出て来た。

「人生に無駄なことは無いのではないか。し
んどい事もあるけれど、何か自分に役に立つ
と思えば、やって行ける」

この世界の言葉だが、神様のことを思った。
信仰人生、色々な事がある。しんどい事も苦
しい事も、辛い事も、悲しい事も、大中小、
様々散りばめられている。
でも、神様が一つ一つを与えておられるので
無駄なものは一つもない。

神の愛に包まれていて、愛によって与えられ
ている。主にしようとしておられる事があら
れて、ご計画の中であり、万事は益となる。

偶然も不運もなく、目の前の一つ一つが織り
込まれた神のご意志とお心の中だ。

それがあるので、安心しておられるし、どん
な中でも希望がある。

運命にほんろうされているだけなら、どんな
に不安だろう。行き着く先もわからず、その
事に意味があるのかすらわからない。

単に思い込みの楽観主義も、更に不安だ。
自分に大丈夫だと、思い込ませようと頑張る。
しかし、確かなものが何もない。確証を与え
てくれるものがない。

神の言葉を与えられているとは、何と大きな恵
みだろう。いのちと霊が宿り、愛があり、確か
な指針があり、自分を委ねて行ける。

日常に起こる一つ一つの事に意味があり、神の
お心と気持ちがあり、そこに愛があり、神を
見い出して行ける。
だから、この1日に喜びがあり、心が神に触れ
るので、生き生きと生きて行ける。

日々、新たに主に出会え、新たに愛を知り、主
のお心に触れて行く、ここに生きることの実感
がある。

Aさん「進むべき道について祈っていたんです
よぉ。すると、その祈った事に対する情報や指
針が、日常の中に出て来る。人を通して、環境
を通して、神様からの反応が来るので、神様を
感じる。祈りの答えが色々な形で、生活の中に
現れて来る。」

無駄どころか、毎日の起こる一つ一つの出来事
や、状況を通して、神からのメッセージがある。