2007年08月18日(土)
  「礼拝とは」

キャンプで「礼拝」について学んだ。

「礼拝」の意味は、ひれ伏す、おじぎする、奉仕する。
礼拝は「ささげる行為」「神を崇める行為」「祭司と
して」。礼拝とは献げるものであって、受けるもの、
もらうものではない。

自分をささげるのであって、自分がもらうのではない。
だいたい、礼拝で自分がもらおうとする。自分が恵ま
れよう。自分が祝福されよう。自分が得よう・・。

1週間この世でしんどい思いをして、礼拝に出るのは、
慰められたい、癒されたい、疲れを取って欲しい。
新しい力を得たい。だのに、もらうのでなく、尚も
ささげるのか。その通り。

神様を崇め、ひれ伏し、心を、自分自身をお献げする。
勿論、自分は満たされ、恵まれるが、それはあくまで
も結果であって、目的ではない。

「ひえ〜、びっくりしたあ。もらうために来てた」
「自分が恵まれようと来てた」
「来ないと自分がしんどくなるから来てた」

よく礼拝とは、メッセージを聞く事だと思っている。
だから、メッセージまでのプログラムは「前座」だと
思っている。賛美して待ってますから、メッセージに
間に合うように、ちゃんと来なさいよ、ぐらいに。

しかし、すべて一つ一つは心を込めてお献げして行く
もの。賛美を神にお献げし、祈りをお献げし、聖書交
読をお献げし、一つ一つをお献げして行く。

「賛美も自分が慰められるため、いやされるためで
なく、主に向かって賛美すると知りました」

「自分が恵まれよう、自分が祝福受けよう、どこまで
も自分、自分・・自分中心。それが献げることができる
など奇跡で、嬉しい」

「もらうのでなく、恵まれようと受けるのでなく、
献げる礼拝に、意識してあずかりたい」