2007年11月10日(土)
  「苦しみ」

『苦しみに会ったことは、私にとって
しあわせでした。私はそれであなたの
おきてを学びました』詩篇119:71

Aさん「私、一番最初、この御言葉に触れた時、
苦しみに会って、おきてを学ぶって、何だかもの
すごく冷たい感じに聞こえたんですよねえ。

「おきて」っていうのがすごく冷ややかな感じで。
それも苦しみの中で、学ぶっていうのが。何か
冷た〜い感じに思えたんです。

でも、今、わかります。次から次へと苦しい事ばか
り、ひっきりなしに続くんですが、自分は、自我が
ものすごく強くて、この自我が問題で、これが砕か
れないといけない。

自我が砕かれて、学ぶべきものは、神様のおきて
なんだと。
苦しみを通って、神様のおきてを学べる事が、もの
すごく感謝で、これが無ければ、どこまでも高慢に
なって、自分は恐ろしい事になってしまうって。

神様のおきてを学ばなければならないんだと、本当に
思います。
それを学ぶには、苦しみしか無いんだなあと。
苦しみは辛いし、しんどいけれど、その中で神様の
おきてが学べるんですよね」

Bさん「Aさん!今日は冴えてる!今日のコメント
すごい!私も胸にグサッ!!と来た(笑)
私も自分はものすごく自我が強いと思う。砕かれない
といけないのが、この自我なんだなあと。

目の前に、痛みや悩みが色々と起きるんだけど、感謝
なんですよねえ。
今まで振り返って、自分が変えられて来たのがわかる。
神様知る前は、とにかく自分、自分で、自分の思い
通りで、何とも思わず、それが普通で、当たり前だと
思っていた。

どうやっても思い通りにならない事態が目の前に起
きて、どん底まで行って、神様に委ねるほか無くな
って、委ねた事を通して、初めて頭で知っていた神様
が現実になった。

苦しみに会ったことがしあわせだってこと。何かわかり
ます。本当に苦しみ通して、神様知れたからしあわせ
です!!」

苦しみに会わないと、何もわからない。
それほど自我が強くて、高慢で、自分が高慢であること
にすら何も気づいてなくて。
ほんとに苦しみが感謝だ。苦しみの中で神様に出会う。
しあわせだと心底思える。