2008年08月03日(日) 「わたしの平安を与えます」
遠方の友Aさんから電話が入った。 「主人がイエス様のもとに召されました。 もう末期の末期で、前日は高熱でずっと眠った ままで、今夕、主人のベッドで子供と共に、 賛美をし始めました。 すると、眠っていた主人が意識もはっきりして、 アメイジンググレイスを口を動かして、一緒に 賛美しました。 1節から4節まで、家族一緒に賛美して、4節目の “御国につく朝 いよよ高く”と賛美し、 “恵みのみわざをたたえまつらん” 最後の“たたえまつらん”と賛美し終わったと 同時に静かに息を引き取りました。 劇的な最期でした」と。 その数日前に「いよいよ天に召される日が近 づいたの。最後まで家族で十分目一杯の時 を過ごせるように祈っててね! 心は平安で平安で一杯なの。感謝で感謝で!」と。 召されるその時まで、ご家族で、最高の時が過 ごせるようにと祈り続けていた。 ご主人が天に帰られた時も、今まで守られて、 感謝で、感謝で、感謝しかないと。 葬儀式に、ただただ神様の栄光が現される事を 祈ってねと。 教会での葬儀式、一生に一度の福音を聞く機会 かも知れないから、もう今までの親交のあった 方々に、厚かましいけれど、来て頂けるように お願いしたの、と。 世が誰も決して持つことのない、「わたしが与 える、わたしの平安」と言われた、“主の平安” に心が守られているAさんに、神様の栄光を見た。 “わたしは、あなたがたに平安を残します。 わたしは、あなたがたにわたしの平安を与 えます”ヨハネ14:27 クリスチャンだけが持つ“主の平安”、どんな 状況の中でも、関係なく臨む“平安”、これを 与えるために主が十字架上で命を捨てて下さった。 “彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、 彼の打ち傷によって、私たちはいやされた” イザヤ53:6