2008年10月18日(土)
  「ヨルダン川」

この日曜カンボジア宣教1周年で、礼拝時に
スカイプでリアルタイムで、カンボジアから
映像と音声が入り証しが聞けて、便利な時代
になった(^^)

その証しは
・・・「ヨシュア1:2のヨルダン川を渡って、
わたしの示す地へ行け。で、自分にとってカン
ボジアへ来る事はヨルダン川を渡る事だった。
ほんとにヨルダン川を渡ると、すべての必要が
備えられていた。

丁度帰国する宣教師さんから、家も家財も何
もかも譲り受ける事ができた。すべての必要
が備えられていた。
現地でそれらを一つ一つするのは、大変な
労力であり、作業だ。

それはヨルダンを渡る前でなく、渡る決心を
し渡ってからであった。

渡ってから、様々な事に遭遇した。苦しい事、
しんどい事、悲しい事、何でこんな事がと思
うこと・・
しかし、それらすべての面で、主の備え、助け、
支えを経験する日々であった。

「わたしが・・与えようとしている地」である
こと。

「足の裏で踏む所はことごとく・・あなたに与
えている」

「わたしはあなたとともにいよう。わたしは
あなたを見放さず、あなたを見捨てない」

「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない」

語学の学びをしながら、働くべき地を祈って
いたら、次のヨルダン川を示された。
それはバッタンバンという地方の地で、教育も
医療も無い地。
しかし、はっきりと示され、ヨルダンを渡れと。
それを渡る時、又、すべての必要が備えられて
いる事を見れると信じて、ヨルダン川を渡り
ます」・・・。


ヨルダン川は自我の死の意味で、自分にとって
のヨルダンは何か、婦人学び会で皆で考えた。

最も自我に触れ、痛いところ、逃げたいところ
そのヨルダン川を渡って、乳と蜜の流れる地
へ行けと、神が言っておられる。

Aさん「いつもいつも罪を犯しては悔い改め、
同じ事を繰り返している。神様がよくはわか
らない。こんな信仰生活でいたくない。

もっともっと神様を知りたい。自分のヨルダン
川は献身。献身を祈りの課題に祈って行き
たい」
Bさん「自分のヨルダン川は、ある対人関係。
きちんと向き合うよう示された。ないがしろ
にしないで、向き合って、御心に従いたい。
ヨルダン川を渡ります」

Cさん「自分は、示されている御言葉に従う
こと、一つ一つ自我に死んで従順に従って
行くこと、それを示されました」

自分にとってのヨルダン川は何?生涯示
される、目の前のヨルダン川を渡って行け
るように。