2009年04月07日(火)
  「桜の季節」

桜が素晴らしく満開だ。

新学期で、教会も進学、就職と新しい歩みが
始まる方々がおられる。
お一人お一人に豊かな祝福がありますように。

子供の幼稚園〜大学と、どの入学式にも、
桜が満開で、素晴らしく綺麗で見とれるようだった。

満開の桜と共に、あの時の、この事の、入学式
が脳裏によみがえる。心にくっきりと、見事な桜が
刻まれている。

次男が隣県へ就職で旅立った朝、桜が綺麗だった。
まだ早い朝は、少し膚寒く、ベランダから車を見送った。

神様が、難関の門を開いて下さり、本人の大好きな道、
一番したかった念願の仕事であり、夢が叶って、飛び
立とうとしていた。
大きな喜びの、祝福の朝であった。しかし、朝のひんやり
した空気の中で、寂しさに、心で涙が出た。

からっぽになった息子の部屋、その窓から外を見ると、
土手に、見事な桜が見えた。しんしんとした心に、その
綺麗な桜は、神様からの慰めと癒しであった。

今年も桜が咲いた。
息子が行って、4回目の桜が見事に花開いている。

集う教会も備えられ、大忙しの中で、好きな仕事に邁進
できていて、神様の豊かな守りと祝福に、ただただ感謝。


★長男がカンボジア宣教に単身出発したのも、やはり
桜の季節。2年前の丁度今頃、福岡空港に見送った。

生まれたばかりの孫に会いに、そのまま南へ。
途上は満開の桜、桜、桜・・。

長男は、第2子誕生を見るや、その足で、即、福岡へ
向かい、渡航となった。

上の子は、3才になるところ。まだよくは理解できず、
お父さんは突然いなくなるは、赤ちゃんは生まれて来
るは、でパニックだった。

情緒不安定で、表情暗く、不憫だった。
辛く、心痛むが、どうにもできず、神様に委ねるばかり。
周囲から溢れる愛情が注がれ、感謝で、ただただ祈る
ばかりだった。

痛む心に、しみ入るように、桜が綺麗だった・・。

孫にとって大きな試練だった、あれから2年・・。
神様は素晴らしく、思いを越えて良くして下さった。

2年前の9月に、母子もカンボジアへ渡り、家族での
生活が始まった。

孫はカンボジアで、生き生きしていた。カンボジア語の
勉強を楽しみ、電気水道トイレの無い、地方の集会に、
毎週、お父さんについて行き、外に出るのが楽しそう。
とても逞しく育って行った。

未知の地、カンボジアに立った、2年前を思い出す。

丁度、時ピッタリに、帰国する宣教師さんが、住居、家財
いっさいを、安く譲って下さった。
そのまま、そこに住まわせて頂いている。何という恵み!
一歩、御心に歩み出すと、すべてがすでに備えられていた。

住まいとすべての家具の必要備えられ、真実に「主の山の
上に備えあり」であった。

昨年クリスマスには、現地で知り合った11名の未信者
の方々が自宅クリスマス会に来て下さり、福音を聞いて
下さった。

毎週の戸別訪問、地方の集会へと、働きの門が開かれ、
カンボジア語で、子供集会でお話をするようにされている。

そして、将来への働きの方向性も示されている。
この2年・・
神様は、何と多くの事をして下さり、豊かに祝福して
下さったことだろう。

この桜の季節、長男も一時帰国し、第3子の誕生を
迎えようとしている。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

あなたの一生を良いもので満たされる。」
詩編103:1

「・・私たちの願うところ、思うところのすべてを
越えて豊かに施すことのできる方」
エペソ3:20