2009年08月04(火)
「自分の思い通りに」
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Aさん「イライラして、落ち込む出来事があった
んですよぉ。何か心沈むし、聖書を読もうと思って
読んだんです。
こんな時、よく聞くじゃないですか。御言葉与え
られて、教えられて、心がすっきりして、平安に
なったと。
でも、自分は読んでも、読んでも、何も与えられ
なくて、いい加減しんどくなって来て。聖書閉じて
しまって。何も心に無くて。
でも、時間が経つと、イライラや割り切れない心
も少しづつ薄らいで来るし、まあ、いいかと思え
たんですけど。
普段、導き求めて聖書読むなんて、無いんですよ。
でも、何か導き欲しいなあと、祈って、聖書読んでも、
何も全く感じるところが無くて、何でなんですかね」
Bさん「それって、示されたら、従おうと思ってたん?」
Aさん「うーん、うーん・・ほんとのところ思って
無いです」(笑)
Cさん「それ、それ!わかるわ。私も、そう!自我が
あって、自分は変わりたくないんよ。悪いのは相手で、
変えたいのは相手と状況。
状況を変えよう、変えようとするんよね。
物凄く強い自我がある。
そりゃ、聖書読んでも、わからんわ。
だから、わからんのんよ。(笑)」
自分中心に、自分の思い通りの答えが欲しくて、
悪いのは相手で、自分は変わりたくない。
自分が変わろうとするから、御言葉がわかる
のであって、自分が変わる気が無ければ、
御言葉はわからない。
Dさん「心が砕かれるほど、御言葉がわかる
から、Aさん、いつも聖書がわかりますよう
にと祈ってるから、その祈りが答えられてて、
神様が砕かれてるんじゃないん。
今回の出来事も、砕かれるためなんだよね」
Aさんに笑顔が見えて「何かすごく納得でき
ました!心がすっきりしました。
相手を変えようとしてました!自我ですねえ。」
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