2010年01月11日(月)
  「肉」

Aさん「昔に、一度献身の決心をしたけれど、全然献身
なんてしていない。全くしていない。
自分のためにだけ、生きて来た。」

「でも、自分のためにだけ、生きて来た事がわかるんだ」

「今、わかる」「それって、聖霊様だよね」

「人の事、相手の事なんて、全く考えていなかった。始め
から終わりまで自分の事だけ。
今、ものすごく苦しい。何という生き方して来たんだろうって。

苦しいけれど、苦しいからこそ、はっきり自分は救われている
事が確信できる。以前は、平安が全く無くて、時々ほんとに
自分は救われているんだろうかと思った事があった。

今、聖霊様が内におられる事がはっきりわかる。
すごく嬉しい。
以前は聖霊様が内におられるなど、全くわからなかった。
今、はっきり自分でわかる。だから本当に感謝でならない」


救われているけれど、ずっと肉に従って生きて来たんだ。
二つの性質があり、肉は、完全徹底自己中心。

Aさん「憎しみで憎しみで、もうどうにもならない事も
経験した。もう傷つけないと気が済まない、怒りと
憎しみで煮えくり返る。これが肉なんだよね」

「肉に従って行くと恐ろしい。憎悪がエスカレート
して、殺人になって行くこと容易に想像出来る。
憎しみって、鬱積すると本当に人を殺せる。恐ろしい」

以前、自分の内にある古い性質、罪の性質、肉
はモンスターだと礼拝メッセージであった。
猟奇的な犯罪者を見るなら、何という恐ろしいと
眉をひそめるが、別に驚く事ではない。
肉とはそういう事で、罪の性質とはそういうものだと。
自分の内の肉は、同じものだ。

人生で、そういうスチュエーションに、たまたま自分が
遭遇しなかっただけで、様々な要素が重なり合ったなら
自分だって、何をするかわからない。それが罪の性質だ。

ポルポトが自分の内にあるって、言うことじゃん。

Bさん「私!ポルポト時代にいたら、一番に密告してます!
自分が助かるために」(笑)

本当に御霊様に従って行かなければ、自分は何をする
かわからないし、どうなるかわからない。
人間、良い人なんかじゃ全然無い。

十字架を平然と見ていて、何も感じないのが肉であり、
罪の性質であり・・そこから救い出された、救いであり、

「古い人がキリストとともに十字架につけられた」

「自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに
十字架につけてしまった」

イエス様の十字架。ここだけに救いがある。救われている。

真剣に御霊様に従って行けますように。