2010年05月05日(水)
  「変装」

サタンについての本の中に、
『自己という仮面の陰に誰かがいるなど,考えても
みません。ただ自分がもっと良いクリスチャンだったら
なあと思うだけです』とあり、

サタンが、自己という仮面をかぶって来るので、ほとんど
判別できないと。変装して来る。

サタンが思いの火矢を、絶えず吹き込んで来ているが、
自分が思っているとしか、思えない。

刑事が放火現場に来て、現場検証をしている。懸命に
放火原因を調査している。
しかし、実は放火犯人が、刑事に変装して、現場に来て、
懸命に証拠隠滅を図っている。

誰一人、刑事が変装犯人などと思う者はいない。
堂々と証拠隠滅をして行く。

同様に、自分の思いの中に、サタンが思いを放って来て
いるが、別ものが入り込んでなどと思いもしない。

でも、心を見張っていると、よくわかる。
どんどんサタンからの思いが吹き込まれて来る。

しかし、御言葉に立つ時、その思いが消える。
「と書いてある」から離れない時、心が平安に守られる。

Aさんが、「もう自分にピッタリで、目からうろこでした。
今まで、それはサタンだと言われても、よくわからなかった
です。

思い煩いや不安が押し寄せる度に、サタンなど無く、
自分はダメなクリスチャンと思っていた。
サタンのことが分かっていませんでした。」

そして、サタンが持って来るのが、自分、自分、自分、
どこまでも自分。
自分の満足、自分の賞賛、自分の利益・・神様に反抗
ならわかるが、神様の衣を着ているからわからない。

神様のためが、自分が満足するため、自分が賞賛
受けるため、そう思っていないから、わからない。

変装する敵に対する、御霊の気づきに、ただただ感謝。
神様のあわれみに感謝。