2012年01月06日(金)
  「明け渡す」

遠方の親友と、久し振りの電話での交わり。

双方、バタバタしていて、しばらく電話の交わり
もできずにいた。

それが、近況の長い手紙をくれて、身辺大変
な状況になっている事を知り、即、電話した。

子供に、仕事面、対人関係面、日常の出来事、
深刻な厳しい試練が次々と臨んだ。

余りのストレスに、許容量オーバーになり、子供
自身がパニック状態になり、後で思えば、心を
保ち、ストレスやプレッシャーを発散するために、
切れた状態になり、わけのわからない、思わぬ
行動を取り、本当に大変だったと。

それをそばで、何とか押さえ込んだり、受け止め
たり、道をつけようとしたり、良かれと思うありと
あらゆる事をするが、事態は改善せず、
もう、なすすべなく途方に暮れたと。

自分自身の体力も、心も限界に来た時に、
いつも聞いて学んでいる、「神様にお委ね
する」ということが、初めて出来たと。

ああでもない、こうでもないと、やはり自分の
思いがあり、自分の良いと思うことをすべて
やってみるが、もうどうしようもなく、どうにも
出来なかった。

神様にお委ねせざるを得ず、何もかも、
もう明け渡し、どのようにでもして下さいと、

一旦自分の道を模索し、神様を離れて、自分で
生きて行くことを選ぶならそれももういいと、思え、
何もかも、神様に渡した。

すると、その時から、思いもしなかったが、事態が
好転。奇跡のようだと。
環境を通して、本人の志を通して、どんどん道が
開かれ導かれて行った。
思いを遙かに越えて、主が導かれたと。

友と話していて、本当に神様に「明け渡す」「委ねる」
ことがすべてだと、改めて見せられ、教えられる。
それ以外に無い。


この明け渡すことが、人間の力ではできない。
どこまでも握って、握りしめて、頭ではわかって
いるが、放せない。
放したら良いとわかっているが、放せないというより、
頑固な自我が、放さない。放したくない。

この「明け渡す」ことも、聖霊によらなれば、不可能だ。
聖霊に励まされて、前進できますように。