2015年04月06日(月)
  「みこころのように」

よく自分の思いと、神様の御心がかみ合わない時が
ある。
自分は、こう進みたいのに、道が開かれない。
自分はしたくないのに、神様からの促しを感じる。

心がスムーズでなく、悶々とする。
自分は、したい事があり、強い思いがあり、でも
平安がない。

どうしてもしたくない事だが、するようにと御霊の
導きが来る。

イエス様がゲッセマネの園で祈られた箇所を学ぶ。

「できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせて
ください。しかし、わたしの願うようにではなく、
あなたのみこころをのように、なさってください」
マタイ26:39

この十字架を回避したい、かかりたくないと
祈られた。何か、別の思いがあられたのだろうが、
極めて率直に、祈られている。

かかりたくないと。しかし、自分の思いでなく、
みこころのようにと。

「悲しみもだえられ」「悲しみのあまり死ぬほど」と。
「苦しみもだえて、いよいよ切に祈られ、汗が血
のしずくのように地におちた」
「深く恐れてもだえ」

あの弟子たちに、一緒にいてほしいと。
弱さをそのまま出された。強がるのでなく、
率直に、素直に気持ちを表されている。

雄々しく、弱音を吐かず、御心を行なって行くのが
霊的であり、立派な信仰者と思いそうだが、
主はあるがまま、正直に、気持ちを告げ、
弱さを出しておられる。

きちんと御父に、自分自身に向き合われた
からこそ、御心を受け入れて行かれた、

「立ちなさい。さあ、行くのです」と、十字架に
進んで行かれた。

Aさん
「何と、自分が薄っぺらなのかと、薄っぺらの
ぺらぺらです。思い知らされました」

Bさん
「自分は日頃、御心のままに、と祈っているが、
口先だけで、そのつもりだけで、嘘です」

「ちゃんと向き合って、自分の内を探ってもらい、
自分の本当の気持ちを知り、それを認めて、
正直に祈って行かない限り、

御心なんて、受け入れることができないんだと
知りました。自分の全くいい加減な態度を知ら
されました」