2003年06月16日(月)
  ああ、そうなんだ

学びの中で、インパクトを受けた。

「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日の
ようだからです。」
「洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその
日まで、人々は、飲んだり、めとったり、と
ついだりしていました。」
「そして、洪水が来てすべての物をさらって
しまうまで、彼らはわからなかったのです。
人の子が来るのも、そのとおりです。」
マタイ24:37

イエス様の再臨は、ノアの日のよう。人々は、
飲んだり、めとったり、とついだりしていた。

飲んだり、めとったり、とついだり・・は合法
的なことで、罪じゃない。日々のごく当たり前
の生活。

毎日の平凡な生活を、ごく普通に営んでいる。
日々の仕事は良いこと、その良いことの日常に、
地のことにのみ、忙しく心を向けている、その
時に、突如として、やって来る。
ノアの日、人々が気づいたのは、すべてをさら
ってしまった時。

ごく普通の、今の生活、まさにこの中に突如と
して、イエス様が来られることが、改めて実感
をもって迫って来る。

心の態度が問題で、この世で日常の生活を営み
ながら、焦点が常に神様にあり、心が神様に
あるように、ピリリッと、心引き締められた。

今日の一日が、この一瞬一瞬が、永遠につなが
るように、天につながるように。
心がいつもイエス様にあるように。
by 多恵子