2017年05月02日(火)
  「御霊の気づき」


Aさん
自分は、神様のことががずうっと長い間、わからなかった。
神様を信じてはいるが、実感がなく、頭でしかわからない。
何だかもやがかかった感じでわからない。

でも、聖書は学びたいと思うし、御言葉聞くのも全く
嫌でなく、交わりも楽しかった。
いろんなストレスも、教会に来て、聞いてもらうと、また
頑張ろうと思えた。
教会へ来るのも良いのだが、何だか神様がわからなかった。

そんなある時、種蒔きのたとえの学びで、道ばたに落ちた
種は、地面が固いので、種をはじいてしまうとの箇所があった。

それは自分の思いが強かったり、偏見があったり、自分の
考え、価値観、経験値の方を優先すると、御言葉を
はじいてしまうと。

又、傍観者のように、他人事のように聞いて、自分の事
として聞かないなら、それも御言葉をはじくことになると。

あ、自分はこれだと、その時初めてわかった。
御言葉を聞くことは嫌でなく、むしろ喜んで聞くのだが、
御言葉聞くと同時に、いつも自分の思いが来る。

必ず来る。「あ、それは自分には無理」「私には出来ない」
その思いが来て、御言葉を受け入れない。
物理的に耳に聞こえてはいるが、心には入れないで、
捨ててしまっていた。その事に初めて気づいた。

今まで、捨てている事にも気づかなかった。
「そんな事してたら、この世で生きて行けない」「浮いて
しまう」「無理、無理」

その思いが来ては、御言葉を受け入れずに流してしまう。
ずっと流してしまっていた事に気づかされた。
聞くことが嫌だったり、拒否したりが無いので、自分でも
全くわからなかった。
御霊の気づきに感謝だった。御霊の働きだった。

それに気づいてから、初めて、「自分は無理と思うので、
助けて下さい」と祈り、前に進むことができた。

従おうとの思いが湧いた。以前はただ漫然と御言葉を
聞くだけで、従おうともしていなかった。
だから神様がわからなかったのだと、わかった。

それ以来、「従いたいと思っています。でも、出来ないので
助けて下さい」と、神様に近づけた。
わからなかった神様のことが、少しづつわかるようにされた。

振り返って思うと、サタンにずっと妨害していたと気づかさ
れる。
御言葉と同時に、肉の思いが来て、サタンがそっちの
方が正しいと思わせる。
肉の思いの方が妥当に、常識的に見えてしまう。
そしてうまくゆくと思えてしまう。

御言葉を聞く時、絶えずサタンの攻撃を受けていること
を見せられる。
絶えず祈りなさい、のごとく、いつも祈りをもってでなければ
もって行かれてしまう。