2021年10月01日(金)
  F閉じられる事の導き

与えられた15人収容位の、ミニ会堂は、時間に関係無く
集会に、交わりに、自由に使えて、感謝でいっぱいだった。

若い人々、学生たちが集っていたので、時間が自由になり、
平日も教会に来ては、交わったり、日曜の準備をしたり、
伝道したりしていた。

小さな会堂は段々狭くなり、もう少し広い場所が必要に
なって来た。特別集会をすると、座れなくて後ろで立って
いた。

祈っていた時に、200mほど先に、二階建ての古い家が
貸家に出ていた。
そこは、何とか35名が入れるほどのスペースだった。

戦前の建物で、かなり老朽化した家だったが、導きを確信
できて借りる事になった。

その時に、牧師住居を、別に近辺で探した。探し回るが
なかなか適切な物件が無い。
距離的に、費用的に、どうも合わない。尚も祈りつつ探すが
見つからない。

そんな時に、その家のすぐ近くに、費用的にも手頃な賃貸
があり、丁度良いと思えたが、家主が子どものいない相手
に貸したいと。

どこにも道が開かれないので、祈った結果、発想が無かったが、
その家の二階に住む事に。

二階に台所を設置し、住まい用に整える工事が必要だったが
その安くはない費用が満たされた。御心の道は、本当に開かれて
行くことを見せられた。

結果的に、17年そこに住んだが、やはり振り返ると、母教会から
の独立と、時が重なったので、経済面で大変助かり、御心の道
であったと、感謝だった。

道を閉じ開きして、御心の道へと導かれ、道が閉じられる事も
感謝で、御心が別の方向にあることのしるしだと。

あちこち閉じられて、御心の方向へ。