2004年03月16日(火)
  父が天に召された

父が先週、天に召された。

癌で闘病が続き、もう食事もできず、点滴となっていたが、
小康状態が続いていた。
夜に、突然の電話。「急変した。ダメかも知れない」との
少し後、「息を引き取った」との連絡があった。

覚悟はしていたので、又、すべてに神の時があることを信
じていたので、来るべき時が来たという感だった。神の時
だと、厳粛な思いだった。とにかく、すぐ親族に連絡に当
たる。

受話器を置いた時、突然、父は今、神様と共に天にいると
の、感謝と喜びが湧き上がった。内から湧き上がる聖霊の
喜びだった。神様有難う!! 突き上げて来る感謝で、心が
満ちた。

38年祈り続けて来た。去年、孫に当たる長男の証しによ
り、はっきりと十字架を理解した上で、信じると言ってく
れた。神様を選び取った。

それ以後、私達が順番に見舞いに行く度に、父の明確な救
いを確信できた。

昨夏、父の脳腫瘍が発覚した時、切に祈った。必ず救って
下さるように。そして、その救いが周囲も確信できるよう
にと。その祈りが見事に答えられた。父が救われた事が、
何よりも嬉しくて嬉しくて、喜びで満ちた。

長くないと聞き、葬儀が教会で出来るように、神様の栄光
が現われるように祈り始めた。
後に葬儀について話が出た時、父がまだしっかりしている
時に、家族に遺言していたと聞いた。
「坊さんは呼んでくれるな。内々でよいので」と。

それで、親族が皆、教会の葬儀に賛成してくれた。祈りに
答えて下さった神様に心から感謝した。
葬儀式が教会で執り行なえ、親族に御言葉を聞く機会が与
えられた。親族に証しをの、切なる祈りが答えられた。

葬儀式を、一番後ろで見守りながら・・38年前に救われ
て、今、夫が司式をし、子供達が賛美をし、父の葬儀が教
会で行なわれ、親族が御言葉を聞いている。神様の大きな
大きなあわれみと祝福に、胸が一杯になった。

長男が、K市で仕事をしていた時、N教会へ集わせて頂い
ていた。おじいちゃんと一緒に教会へ集い、一緒に賛美す
るのが夢だった。が、当時、誘ってもなかなか来てくれな
かった。

葬儀はそのN教会で行なわれた。今、この教会で、おじい
ちゃんの葬儀で、こうやって賛美できているのが夢のよう
だと。
夢を実現させて下さる神様を思った。

葬儀式で、子供達が賛美した。
“父の神がわれら 信仰してる民に 備えられた住まい 
そこに われらは 行く やがて われら きよい向こう
岸で 共に手をば 取りて 喜び合おう”

賛美を聞いていて、天で再び会える喜びと慰めに、心が満
ちた。

溢れる思い出で、悲しくなり、寂しくなる時、天国の希望
が慰めとなって、心が恵みでおおわれる。神様の慰めをひ
しひしと味わっている。

長男が、最後に父を見舞った時に、「有難う、僕にとって
最高のおじいちゃんだったよ」と言ったと。

翌週見舞う予定の、急変だったので、私は最期を看取れな
かった。
天国で喜びの再会をした時、父に一番に言いたい。
「有難う」と。
by 多恵子