2004年04月08日(木)
頑強な自分の力
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青年達と「内に生きる主」を学んだ。
キリストを信じた時、神の子とされ、聖霊が内に
宿って下さった。
古い罪の性質も、そのまま残っているので、自己
中心な生活をすると、自我が大きくなり、聖霊が
小さく隅に追いやられる。
明け渡し、神に従う生活を続けると、聖霊の支配
される領域が大きくなり、自我が小さくなって行
く。神の子とされた時に与えられた、新しい性質
が大きく育って行く。
生まれつきの古い性質、罪の性質に、サタンが誘
惑を持って来る。罪の性質の欲望と、サタンの誘
惑が、ピッタリ合致するので、乗って行ってしまう。
乗って行くと、古い性質を増長させる事になる。
せっかくの新しい性質が萎えてしまい、そちらが
成長してしまう。
肉は神に反抗する。神の律法に服従しない。服従
できない。はなから肉は神に反抗して、服従でき
ないのだから、肉が改良されて、成長して御霊の
実を結ぶことはあり得ない。
肉は御霊に逆らい、御霊は肉に逆らう。この二つ
は対立していて・・。どこまでも葛藤し、争う。
どうしたらよいのか?
「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して
肉の欲望を満足させるようなことはありません」
ガラテヤ5:16
自分の力でなく、御霊に導かれて、助けられて歩
むこと。すると、歩みが可能になる。自分で頑張
るのでなく、明け渡して行くこと。主を信頼して
行くこと。
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にと
どまっているなら、そういう人は多くの実を結び
ます」ヨハネ15:5
「わたしにとどまりなさい」と言われる主に、と
どまり続けること。自然にぶどうの木から、枝に
養分が来て、自然に豊かなぶどうの実がなる。頑
張る必要など何も無い。
逆に「わたしを離れては、あなたがたは何もする
ことができないからです」
もし、主にとどまっていないなら、どんなに素晴
らしい事をしても、何の実も無いことになる。
今、自分はイエス様にとどまっているか?つなが
っているか?が、信仰生活のすべてだ。
Aちゃん「頼れば良い。イエス様にすべてを任せ
れば良いことがわかる。わかるのに、自分の中に、
固い頑ななものがあることがわかる。
頼りきることができない。これが自我なんですよ
ねえ。内に強情な強固なものがあるのがわかる。
それで、中途半端なんだとわかる」
Bちゃん「すぐ自分の力でしてしまう。自分の力
で生きること、頼らないことが罪なんだとわかる。
それがイエス様から離れていることであると、よ
くわかる。
わかるのに、自分の力でしてしまう。けれど、感
謝なことに、環境を通して気づかせて下さる。自
分の力で高ぶっていることを、色々な事を起こし
て、砕いて教えて下さる。痛いことが色々起こる
が、それが砕きだとわかる。
自分では、神様に頼れない者を、頼る者に変えよ
うとして下さっているのがわかるから、感謝」
結局、信仰生活、イエス様にとどまっているか、
どうかだけなんだ。今、自分はとどまっているか。
離れては、何一つ実を結ぶことができない。
by 多恵子
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