2005年05月15日(日)
  「試練は嫌だけれど・・」

今日の朝拝は、「試練」についてのメッセージだった。

試練が与えられるのは、1古い人が砕かれ削られ
小さくされて行くため。2神に頼り、神に近づくため 
3兄姉皆で祈り合うようになるため

試練は絶対に祝福で、試練が無ければ成長が無い。
振り返って神様に一番近い時って、全員が言う。「試
練の時だった」と。あれほど神様によりすがり、頼った
時はない、神様に近かったと。

だけど、試練は嫌なんですよねえ。
Aちゃん「試練の時の祈りが的はずれ。試練の時は、
この試練が何とか無くなるように、状況が変わるよう
に、逃げる事、避ける事しか祈ってないです」(笑)

Bちゃん「私もそうだ!もう逃げたい、避けたいしか
無い(笑)何とかこの試練が無くなるように、又は、
状況から脱っする事ができるように」

今、四方八方から厳しい試練にあるCちゃん「同じ
です!苦しい事は逃れたい。皆、同じなんですねえ。
でも、本当に苦しみ通してしか、味わう事の出来ない
喜びもまた経験しました!神様がすごく身近に感じら
れました。皆の祈りに励まされました。ほんとにメッ
セージの通り、そのままです!」

Fちゃん「試練の時って、ほんと古い性質があらわに
なる。見たくない、ふたをしておきたい、自分の一番
嫌なところ、そこがクリアにされて、はっきり認めさ
せられる。そこを通ると、解決があって、すごい成長
があるとわかっている。
どう、冷静に考えても、試練を通って成長できるなら
通った方が良いですのにねえ。だのに、直面すると逃
げの一手なんですよねえ(笑)」

でも、逃げたくない新しい自分もいる。嫌だけど、痛
いけれど、しっかり受け止める事を選択しようという
新しい自分がいる。

by 多恵子