2006年01月09日(月)
  「信仰を使う」

試練は信仰の成長のために、どうしても必要で、
ヤコブ1:2−4によると、試練でなければ成長
は無いと、書いてある。

試練があると、忍耐が生まれる。忍耐とは、単に
じっと我慢する消極的意味でなく、積極的な意味
であり、神がこの事態を必ず良くして下さると信じ
ることだ。

良くして下さると信じれるのは、不都合な状態の
時だ。良い状態の時に、良くして下さると信じる
のは無意味だ。

その良くして下さると信じる=忍耐で、それを
完全に働かせて行く時、成長を遂げた者となる
と約束されている。

だから、成長は忍耐を働かせる事の出来る、試練
の時でしか、あり得ない。
だから、さまざまな試練に会う時、喜びでなく、
「この上もない喜び」と思いなさい、とある。

人は楽しい時は、信仰を働かせる必要がない。
順境の時は感謝して歩めばよいし、試練を
願う必要もないと思うけれど、やっぱり御言葉
の言う通り、試練は感謝だと思う。

痛い時、苦しい時、心が神をあがき求めている。
本当に信じようとしている。神が良くして下さる
ことを信じようと、信仰が働いて行く。信仰を使
っている。

自分の内に、神の与えて下さった信仰があって、
その信仰を使っていることが、この上もなく
嬉しい。

「神は良くして下さる!」どんな状態の中でも
この事を信じて、信じて行きたい。

by多恵子