2006年07月11日(火)
「神のご計画」
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祈りについて話していたら、
Aさん「自分の願いは願いなさいと言われるが、その願いが
自分の思い通りになるとは限らないし、ならない事も多い
ですよね。でも、私のために最善をして下さるんですよね。
これからも先も、しっかり心して、その最善が、自分の思い
通りではない事も多い、その事も受け止めて行きたいと思
います」
つらつら考えていた。「神の御心が成る」。クリスチャン長
くしていると、いつも聞いているし、全く当たり前の事だけ
ど、ふと、目からうろこに感じた。
生涯、一度たりとも、自分の思いが成る事は決してない。
すべて完全に神の御心が成し遂げられている。
自分の思いが成ったと思うものは、たまたま神の御心と
一致していたからだと。
苦しい事も、辛い事も、悲しい事も、必ずこれからもある。
それが無いことが、クリスチャン人生ではないのだから、
必ず次々とやって来る。
それはどんなに嫌で、痛くても逃れられない。
苦しみでしか、人は学べないよう。苦しみを通って初めて、
人生は、自分の思い通りにならない事を、学ぶのだと。
自分の思い通りにならないことを、何度も何度も思い知
らされて、人は初めて「神の主権、神の支配」を認めて
行くのだと。これが苦しみの答えなのだと。
人は余りにも自己中心なので、自分中心にしか、神も、
世界も見えない。苦しみを通して、初めて神中心に世界
を見て行くのだと。
愛する友人が、夫の不倫により、離婚も通り、想定外の
人生になった。「波瀾万丈だったね」と話すと、何もか
も落ち着いた今、この苦しみを通って「本当に」良かっ
たと思っていると。
驚いた。言語に絶する苦しみだったけれど、この事があ
って良かったと、心から思えると。
今でも、どちらでも選べるとしたら、絶対に通る方を選
ぶと。
自分は本当に高慢だった。それを知らずにいた。苦しみを
通して、それを知らされた。あのまま行っていたら、どん
なに恐ろしい事になっていたかと思う。絶対に嫌だと。
とことん砕かれた。割礼じゃないが、ほんとにもう生皮一枚
剥がされた感じ。通して下さって感謝で、感謝でならない。
初めて、恵みが見えた。恵みなんて全然わからなかった、
知らなかったと。
霊的に光のまっただ中にいる人は、自分の罪しか見えない。
人の罪が見えない。
暗闇にいる人は、人の罪のみ見えて、自分の罪が見えない。
彼女が言った言葉に驚いた。「私が悪かった。私が高慢
だった」「でも、不倫をした相手も悪い」「いいや、私が
罪人、私が悪い、私の罪」と。相手を責める一つの言葉も
無い。ほんとに気高く見えた。
苦しみの中で、神様の支配と主権を認めて行く者に
される。そして、神のご計画を見い出して行く。
砕かれ、へりくだらされ、ますます神の恵みにおお
われる。
by 多恵子
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