2007年04月06日(金)
  「試練は痛い」

「さまざまな試練に会うときは、それをこの上も
ない喜びと思いなさい」ヤコブ1:2

試練は絶対に益で祝福、試練が無ければ成長が無い。
それは今までのメッセージや、御言葉もそう言って
いて、よくわかる。

振り返って神様に一番近かった時は、全員が言う。
「あの試練の時だった・・」と。あれほど神様によりす
がり頼った時はない、神様にものすごく近かったと。

だけど、試練は痛い、わかるけれど辛い、嫌なんだ
よねえ。

Aさん「試練の時の祈りが大きな的はずれ。試練の
時は、とにかくこの試練が無くなるように、状況が
早く、すぐに変わるようにとしか祈っていない。逃
げる事、避ける事ばかり」(笑)

Bちゃん「私も同じだ(笑)何とかこの試練が無く
なるように、又は、状況から脱っせるように。そう
祈ってしまう」

Cちゃん「同じ!苦しい事は逃れたい。皆同じなん
ですねえ。でも、苦しみ通してしか、味わう事の出
来ない喜びも経験します!
神様がすごく身近に感じられて、皆の祈りが心強か
った。ほんとに試練は益、御言葉の通りです!」

Fちゃん「試練の時って、ほんと古い性質があらわ
になる。見たくない、ふたをしておきたい、自分の
一番嫌なところがクリアにされて、はっきり認めさ
せられる。

いつも教えられてて、そこを通ると、すごい成長が
あるとわかっている。どう冷静に考えても、試練を
通って成長できるなら、通った方が良いですのにね
え。だのに、直面すると逃げの一手なんですよねえ
(笑)」

でも、逃げたくない新しい自分もいる。嫌だけど、
痛いけれど、しっかり受け止める事を選択しようと
いう新しい自分がいる。

Yさん「最近、仕事先でギクシャクして、対人関係
がもうややこしくて、行くのがしんどくて辛くて、
心が重く苦しかった。
上の人が、余りに理不尽な事を言うので、とうとう
こちらも限界で、きつい言葉を発してしまった。
平安が無くなり、冷静になると悪い事をしたと思う。
でも、腹も立っている。

そんな時、御言葉からきちんと謝る事を示された。
うわっ、そんな事、とても出来ないと思ったが、祈っ
ていると、自然に謝りたいと思えるようになった。
不思議だった。

そして、ちゃんと謝る事ができた。神様を感じた。
心に平安が戻った。心がすっきりし、神様に従う事
がすごく気持ちの良いことだと思った。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせで
した。私はそれであなたのおきてを学びました」
詩篇119:71

「わたしがしていることは、今はあなたにはわから
ないが、あとでわかるようになります」ヨハネ13:7

振り返って、数々の痛い、厳しい所を通ったが、
通って良かったと心から思える。それを通して、
いろんな事が学べたから。もし、それが無ければ
どんなに高慢になっていただろうと。