2007年11月07日(水)
  「自我」

信仰生活の行き着く所、結局「自我」だなあ。

この自我が砕かれない限り、御言葉もわから
ない、神様もわからない。

Aさん「自分の問題が自我だと思います。もの
すごく強い自我があって。
職場で様々な問題があるんです。いろんないざ
こざや衝突やら、もろに自己主張する強烈な人
がいたり。
仕事ができない人を批判したり、仕切ろうとす
る人、でも、それをその人がいなければいいと
思っている自分。

その人の存在を否定し、抹消している事であって、
すごい罪ですよねえ。
神様がその人を私の前に置かれて、自分の内側を
教えて下さっているのだと思った。

その人がいなければ、そういう対象がなければ、
内側は強烈自我なのに、その自我に気づく事もな
い。自分がこんなにも自我が強い事を教えられて
いる。

神様はいろんな人を目の前に置いて、結局は、自分
自身の本当の姿を教えたいと思っておられる。いか
に自我の強い者であるかを。

それを相手を責め、周囲のせいにしているなら、は
なはだしい的はずれですよね」

Bさん「私も同じです。ものすごい自我が強い。思
い通りでない状況、苦しい事態がずっとあるのも、
砕かれてるんですねえ。
でも、砕かれないと、どこまでもものすごい自我で
すよ。苦しみと悲しみが今あるけれど、でもほんと
に感謝なんだと思えます」

Cさん「子供の事がすごい感謝だったんですよぉ。
就職活動していて、なかなか無くて、次々落ちるし、
もうお先真っ暗で」

Dさん「で、最悪のシナリオを書くんじゃろ」「そう
そう最悪のシナリオが出来上がってる(笑)」
「もうどうなるんじゃろかと、ものすごい不安と恐れ
で、真っ暗闇に落ち込む」

「教会へ来ると、絶対大丈夫!与えられるから!と言
われるんだけど、ほんまかいな?大丈夫なんかいな?
と思って。(大笑)だけど、信じて行こうと思える。」

Eさん「Dさんすごい正直!可笑しい〜」(大笑)

Dさん「その大丈夫かいなと不信仰になる時、ものすご
い自分の自我を感じる。信じようとしない強烈な自我が
ある事がわかる」

「でも、信じようと思えるんだ?」「そう、教会へ来て、
御言葉聞いていると不思議にそう思える」

「で、毎回、毎回、ほんとに祈りに答えられて、見事に
導かれるんよね。それで不信仰を悔い改めるんよね」(笑)

「そうなんよ。その度に、自我の強い自分をわからさ
れる」